『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』がリメイクされていて、しかもかなりの人気を博しているらしく、90年代にリアルタイムで見ていた自分としては驚くばかり。
私が一番大好きなのはポップです。
やたらと人間くさいですね。最初は弱い魔法使いだったのに、数ヶ月の旅を通じてどんどん強くなっていきます。途中からメドローアなんていう強力な魔法すら使うように・・・。
このメドローア、じつは跳ね返されると自分が詰むという弱点がありました。
ハドラー親衛騎団の一人、シグマが持っていたシャハルの鏡は何でも跳ね返すという特性があり、これを使って跳ね返されると自分たちが消滅してしまうかもしれないのです・・・。
ポップは物語の終盤ではそのシグマと一対一で対決することになり、メドローアに見せかけたベギラマを利用してそのあと本命のメドローアを命中させるという離れ業に成功。
死力を尽くした戦いのなかで一種の友情のようなものが2人に芽生えていたのか、シグマはなんとシャハルの鏡をポップにゆずります。このおかげでバーンとの戦いではカイザーフェニックスを跳ね返すことができたのでした。
こんなすごい防具、あったらいいな・・・。
誰でも使えるかもしれない、シャハルの鏡
これからお話するのは、防具としてのシャハルの鏡ではなく、メンタル的な意味でのシャハルの鏡です。
どういうことかというと、ネガティブな出来事であってもそれをいい事だと捉え、すべてを逆手に取って自分のチャンスに変えてしまうという発想法は誰にでも可能だということです。
私は普段どんなことがあってもこのことを肝に命じています。たとえ新型コロナウイルス感染症という社会問題さえも・・・。
いくつかの歴史的事例をお話しましょう。
ローマ帝国の五賢帝の1人であったマルクス・アウレリウスは『自省録』でこのように述べています。
「君がなにか外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。」
自分の思考のクセに気づき、自分自身の受け止め方を変えることで、ストレスを少なくすることは可能です。例えば性格が暗いということで悩んでいるとしたら、悩みの根源は「暗い」ではなく、「暗い」ことを悪いことだと判断しているからです。しかし「暗い」のではなく「優しい」のだと受け止めるようにすれば、その意味合いはまるで違ってきます。
ユダヤ人であったアンネ・フランクは、ナチスの迫害から逃れるためにアムステルダムの一角で隠れ家生活を送っていました。およそ2年にわたる間、彼女は一歩も外へ出ることができず、ただただ日記を書くことが生きがいとなっていました。
ところがこの「書く」という行為を通じて彼女のパーソナリティは深堀りされ、少女から大人の女性へ猛烈なスピードで成長していくのでした。
1944年2月23日には、アンネは窓からアムステルダムの青空やはるかに連なる屋根の波を観た時の感慨をこう書き記しています。
わたしは、ときどきひらいた窓から外の景色をながめていましたが、そこからは、アムステルダム市街の大半が一目で見わたせます。はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりに淡いブルーなので、ほとんど空と見わけがつかないほどです。それを見ながら、私は考えました。「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは――、この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。
ナチスによるユダヤ人迫害という危機がなければ、おそらく彼女は空を見ただけでこのような深い感慨を覚えることがなかったでしょう。皮肉なことに、「死」を強烈に意識したことが逆に彼女の内面の成長に有意義な影響を与えたであろうと想像されます。
やがて何者かの密告により隠れ家を暴かれ逮捕されることになるアンネ・フランクが送られることになるアウシュヴィッツのほかにも、ナチス・ドイツはドイツ本土および占領地域に複数の強制収容所を設置していました。
そこでユダヤ人や政治犯、思想犯やロマ人といった人びとは過酷な労働に耐え、やがてはガス室で葬られてゆく運命にありました。
囚人のひとりにヴィクトール・フランクルという精神科医がいました。彼は同じ囚人たちをつぶさに観察し、戦後に『夜と霧』という本を出版します。
きっかけは、囚人となってもなおも誇り高く生きる人の姿を目の当たりにしたことにありました。
「どのような環境に直面したとしても、自分がそこにどう向き合うかは自分で決めることができる」。
彼はこう語っています。ナチスを告発するための書物ではなく、「苦難に直面したときにはじめて明かされる『人間とは何か』という問い」に対する答えを出そうとして書かれたこの本は、20世紀に出版された本のなかでもひときわ名高いものです。
アンネ・フランクといい、ヴィクトール・フランクルといい、過酷な体験をひもとくと、「不幸や悩みが襲いかかってきたとき、それをどう受け止め、消化するか」は私達次第だということがわかります。知識や教養など、外から加えられたものと違い、この自分の心の中に湧き上がる不幸、悩み、不安、こうしたものこそ私達固有の「財産」であって、何ものにも奪われることはありません。この暗い時期をどう耐え忍ぶかによって何かしら自分のこれからにとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったくその人独自の経験であり、その人らしさを作り出していると言えるでしょう。
ご紹介した歴史的事実から読み取れるように、逆境や不幸をむしろ自分の成長の糧に変えたり、人間性を深めてゆくことこそ、シャハルの鏡と言わずして何と言うのでしょうか。
このシャハルの鏡、要するに「私はこの問題にどう対応するか」というメンタル的な処し方のことであり、つまりは誰でも心の中に本来備わっているアイテムだとも言えるでしょう。
このことに気づき、シャハルの鏡を実際に活用してみようと決意するか、やめておくか・・・、これって案外人生の分かれ道かもしれません。
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