フランスの名作映画『シェルブールの雨傘』では自動車整備工ギイのもとに召集令状がとどき、アルジェリア戦争に従軍することになります。

2年にわたり、恋人ジュヌヴィエーヴと引き裂かれてしまった2人の関係はもとに戻ることがなく、別々の相手と家庭を設けます。
終幕にギイが経営するガソリンスタンドに立ち寄ったジュヌヴィエーヴは偶然再会し、短く言葉を交わしたのち、それぞれの人生に戻ってゆきます・・・。

歴史のいたずらによって翻弄された男女のすれ違いの悲しみを描いたこの作品は公開から60年が経過した今もなおルグランの音楽とともに世界中で親しまれています。

しかしギイが赴くことになったアルジェリア戦争とはいったいどんな戦争なのか・・・。

知れば知るほど「植民地支配」との関係が深い、21世紀の我々から見ればしょうもない戦争でした・・・。ここで備忘のため、かいつまんで歴史的いきさつを整理しておきたいと思います。

アルジェリア戦争に至るまでのいきさつ

・フランスの植民地支配は絶対王政時代~ナポレオン時代と、19世紀~20世紀中盤までの2つの時代に分けられる。アルジェリアが1962年に独立して完全に終焉。

・第1期の絶対王政~ナポレオン時代には、主に北米およびカリブ海に支配地域を広げた。カナダにフランス語圏が残っていたり、アメリカに「ルイジアナ」という地名があるのはその名残。ちなみに、ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌは植民地であった西インド諸島の出身である。

・ところがイギリスとの植民地をめぐる争いで敗北。フランス革命期には植民地の奴隷が反乱を起こしたため、奴隷制を廃止。(ナポレオンが復活させる。)

・ 1830年、復古王政期のシャルル10世が国民の支持を得るためにアルジェリア支配を強行した。ここを拠点に西アフリカに植民地を拡大。

・第一次世界大戦ののち、ドイツからカメルーンとトーゴ、オスマン帝国からはシリアとレバノンを獲得。この時代がフランスの植民地支配のピークだった。

・第二次世界大戦が始まると、パリが陥落して一時的にとはいえフランスはドイツの支配下におかれ、またインドシナ半島も太平洋戦争前に日本が進駐。戦後には植民地で民族蜂起が頻発し、インドシナ戦争が始まり、1954年にフランスが敗北。これによりアジア地域での植民地を失う。

・同じ頃、アルジェリアでもやはり独立戦争が始まり、100万人を超える死者を出した。フランス本国でも爆弾テロがたびたび発生し、厭戦気分の高まりとともにアルジェリアの独立を支持する世論が高まり、ついに1962年に独立を勝ち取った。

以上が大まかないきさつとなります。
しかしアルジェリアの独立後もこのことはフランス人の中に「黒歴史」として刻み込まれることになります。
作家・橘玲氏はこう述べています。
他のアフリカ諸国と比べて(アルジェリアの)もっとも大きなちがいは、そこが「植民地」ではなく「フランスの一部」だったことだ。戦前の日本における満州と同様に、地中海をはさんだ対岸にあるアルジェリアはフランスの「生命線」で、そこはフランス人(白人)が移住する土地と見なされた。

そのためアルジェリアの植民地支配は、アフリカの他の地域と比べてもさらに過酷だった。本国から遠く離れ環境もきびしいブラックアフリカでは、「文明化」の使命は現地のひとびと(原住民)を教育し、エリートを植民地官僚として取り立てていくほかなかった。それに対してアルジェリアでは、白人の移住者たちが原住民に権力を移譲したりフランス市民権を与えることにはげしく抵抗したため「進化した者(エヴォリュエ)」すら生まれず、抵抗や反乱は武力(拷問と虐殺)によって抑え込まれた。

(中略)

フランスは移民に対して「同化」政策をとっているが、その前提には、「フランスは植民地を文明化したのであり、それは(全体としては)よいことだった」という「植民地神話」がある。移民の子弟たちは「フランスという理想」を目指すのが当然であり、フランク王国最盛期のシャルルマーニュ大帝や「人類に啓蒙の光をもたらした」フランス革命を「自分の歴史」として学ぶことを要請されているのだ。

(https://diamond.jp/articles/-/89555?page=3より)
日本史に置き換えてみると、「満州」「朝鮮」が日本の一部だから、日本人が居住して当然だ、あんな土地はわれわれ日本人が文明化してあげたから、インフラも社会制度も整備され、生活が向上して豊かになれたんだ・・・、橘玲氏の文章を読んでいると、そんな「アフリカが文明化されたのはわれわれのおかげだ」のような幻想がどうやらフランス社会ではずっと共有されているようなのです。第二次世界大戦の戦勝国ゆえの無意味なおごりでしょうか?? それともフランス特有の無駄なプライド?

いずれにせよ、『シェルブールの雨傘』で間接的に描かれるアルジェリア戦争とは、「植民地を手放したくないフランスのエゴに振り回されて若者たちが犠牲になった」とまとめることができます。
こんなもので2人の仲が引き裂かれてしまったのですから、たまったものではありません。

さらに悲しいことに、戦争のような出来事が起こると、一国民が何を言おうともその声は社会全体のダイナミックな流れのなかではまったく無力で、正しいことを言っても相手にされないか、敵視され社会から排除されるか、といった結末しか用意されていないということです。

うーん、『シェルブールの雨傘』のあらすじとは完全に無関係ながら、アルジェリア戦争について調べてみると人間のくだらなさを目の当たりにしたような気がしました・・・。