なにか政治的判断を求められるような事件が発生すると、よく有識者が集められて委員会を組織し、いろいろ議論させて提言をまとめるということになりがちです。
最近では新型コロナウイルス感染症対策のために新型インフルエンザ等対策推進会議というものが設置され、基本的対処方針分科会が議論を行っており、その議事録はこちらで読むことが可能です。
しかし私には、単なる専門家の暴走であるようにしか思えません・・・。
ぼっち@3_bocchi頭のいい馬鹿ほどはた迷惑な馬鹿はいない。(ラ・ロシュフコー)
2021/08/26 20:06:09
そういえば、選挙で国民から選ばれたわけでもないのに国民に「何々するな」と言うのって変だ。 https://t.co/DvYkKmEsCB
正直、飲食店が感染症の起点になっているという明確なエビデンスが出ないまま、人の行動を抑制しようという、これまでの対策は効果があったのかどうか、また投じられた社会的コストに見合った成果であったのかどうかという振り返りがなされないまま、ワンパターンに「人流抑制を」が繰り返されています。
選挙で有権者から選ばれたわけでもないのに国民の権利を制限するメッセージを発するのは、たとえ善意からなされた言動であっても、適格者でない人物がそれをしているという時点で、委員会設置の趣旨を踏み越えた暴走であると厳しく非難されなければならないと考えます。
しかしなぜこの手の委員会というのは暴走しがちなのでしょうか。原子力規制委員会もそうですが、えてしてリスクが過大に見積もられ、出てきた数字が官庁でそのまま採用され、常識では考えられないような過剰なリスクヘッジが求められるのは首を傾げざるを得ません。
同様に、気象学者は気候変動を過大に評価し、地震学者の言う首都直下地震や南海トラフ巨大地震で何万人死ぬなどといったSF小説のような計算が新聞に掲載され、国民を不安に陥れます。東海大地震なんて数十年前から「来る来る」と言われていて何一つ起こってないんですけどね・・・。
NHKドキュメンタリー「フランケンシュタインの誘惑」を見ていると、こうした「科学者」と呼ばれる人たちは自分の専門性ゆえに暴走しがちだということが繰り返し語られています。
原爆開発の必要がなくなった(ナチス・ドイツは原爆を作ろうとしていなかったと途中で判明)ことを知りながら、核兵器があれば世界はむしろ平和になるだろうと同僚を叱咤激励して原爆を開発したオッペンハイマー。放射能による健康被害から目をそらし続けたキュリー夫人。このような例は、「フランケンシュタインの誘惑」を見ているとどっさり出てきます。
こうした人達が有識者として委員会を結成するとどうなるのか?
最近読んだ阿川弘之の小説『井上成美』に、井上成美自身の言葉が掲載されており、示唆深いものがありました。
井上成美語る、委員会が悪い説
井上成美は旧日本海軍大将。対米戦争に否定的で、兵学校校長時代は英語排斥論に屈することなく英語教育を継続。敗戦前夜は終戦工作に奔走します。戦後は三浦半島に住まいを移し、近所の子供たちに英語を教えながら清貧の生活を貫きました。昭和50年没。史上初の機動部隊対機動部隊の戦いとなった珊瑚海海戦時のやや消極的な指揮や兵学校長時代の実績から考えて、どちらかというと前線の指揮官としてよりも教育者としての才に恵まれていたようです。
晩年の彼を、もと教え子で当時東北大学法学部教授・池田清が訪問します。
その時、海軍の開戦決断に影響を与えたとされる第一委員会の活動について、こう井上は語ったそうです。
委員会という制度そのものがよくないんだね。(中略)委員会とは要するに責任を回避する為の組織ですよ。今の内閣が、何か難しい問題にぶつかるとすぐ調査会とか審議会とか作るのを新聞で読んで、ああ、同じことやってるなと思います。あれを作ると、責任の所在は分散して、誰がほんとうの責任を取るのか、はっきりしなくなる。殊に第一委員会のような秀才揃いの委員会では、自分の主管事項に関する限り各委員とも非常に突っ込んだ勉強をして臨んでくるから、上が何も勉強していない無能な大臣総長だと、委員会の出す決議に圧迫を感じるんですね。それでつい盲判ということになってしまう。その結果、此処まで来たら対米一戦止むを得ないんじゃないかというような、とんでも無い結論が、誰が言い出したのか責任者不明の、極めて曖昧なかたちで大勢を支配し始めるのです。(阿川弘之『井上成美』より)
とはいえ専門家というのはあくまでも「その分野は」詳しいものの、社会全体を見渡したときに彼らの結論がバランスある妥当なものかどうかは別です。
それゆえ、委員会を組織させた政治家は彼らの提言の採否を総合的に判断しなければなりません。リーダーは委員会ではなくあくまでも政治家であり、そのために有権者から選ばれているわけですから。
こう考えると、政府が設置する委員会は暴走する理由というのは、
1)専門家ゆえの専門性の高さ
2)社会全体を俯瞰したうえで決断できない政治家
にあると考えられそうです。
そして、結末が大失敗だったとしても丸山眞男の言う「無責任の体系」で具体的に責任を負う人もおらず、真摯に反省されることもなく、ただただ次世代がその負債を背負うことになるのでしょう。このパターンは日本の伝統芸能と言わざるを得ません。
コメント