このブログは「友だちいない研究所」と言います。

そう、私は友だちがいません。

もともと人間ぎらいなのと、フルマラソン完走とかヴァイオリンでバッハの『無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ』を演奏したいとか、いろいろチャンレンジしたい目標があるので、人と会うことイコール時間を努力ではなくそっちに割かれることになってしまい、休日に人と会うのをやめました。

職場の人とも絶対に昼食を一緒に食べません。昼休みは私の時間なので、同僚と話をしたくないというのがその理由です。別に話をしていても面白くないし・・・。

飲み会などもってのほか。忘年会を含めコロナの影響で職場の飲み会が消滅したのはラッキーでした。(まあ、マイナスの面もありますけどね。)

そういう私ですから、職場の人と休日にばったり出くわしたりすることほど、損をさせられた気持ちになることはありません。職場はあくまでも生活のために働く場所でしかなく、そこでの人間関係など私にしてみれば「楽しそうにしている」「協力しあっている」という演技でしかないのです。

そんな私がもし万が一休みの日に職場の人を見かけてしまったらどうするか?
私なら、向こうが気づいていなければ静かにその場所を立ち去ります。これは自分のメンタルを平穏にキープするために必要なことですし、向こうも私に会うことを予想もしていないし、期待していないことはほぼ確実ですから、Win-Winです。

向こうが気づいている場合は「こんにちは」くらいの挨拶にとどめ、そのまま立ち去ります。自分の時間に仕事の人間関係が立ち入ってくるのは不幸としか言いようがないので、絶対に会話が続かないようにします。

私にとって大事なのは、お金ではなくて時間です。確保された時間を、自分がやりたいチャレンジのために使いたい。仕事の人間関係がせっかくの自分の時間に侵入してくるなんて本当に吐き気がします。

そんな私が、ある日駅で同僚に目撃され・・・。

同僚に駅で目撃されるも、全否定

月曜のこと、「昨日あなた〇〇駅にいたでしょう? あ、あの歩き方・・・。声かけようと思ったけどそのまま改札を通りすぎて・・・」と同僚から告げられました。

「え、いないよ。俺のドッペルゲンガーじゃないの?(真顔)」

「違う、あれ絶対にあなただった」

「いやそんなことはない。昨日はずっと家にいた。たまに言われる。あの時あそこにいたでしょうと。またそのパターンか(真顔)」

「そうじゃないでしょ。マスクで顔が半分隠れてたけど、あれ絶対あなた。昨日ずっと家にいたの?」

「(真剣な口調で)ジョギングに行ったのと、コンビニに行った以外はずっと家にいた。そっくりさんでも見たんだろう」

「え~」

このようなやりとりが1,2分ほど続きましたが、私は全否定。いったいどれだけ職場の人間関係を嫌っているんだ。この同僚は「??」な表情を浮かべて自席に戻っていきました。

おそらくこの同僚も感づいたことでしょう。私がポジティブな受け答えをしないことを。そして次に私を街で見かけることがあっても、声をかけようという気分にはならないでしょう。これで人間関係をすこし減らすことができました。良かった!

もしこの記事をお読みのあなたが「休日に同僚から誘われて困っている」というお悩みごとを抱えていましたら、「行きたくないのであれば、行く必要はない」とお答えいたします。
経験的に言って、そういうお誘いなどせいぜい30歳ごろまでには消滅します。結婚して、子供ができるとそういう話は誰もしなくなります。人は皆、自分の家庭のほうが大事だからです。そうして慌ただしい日々を過ごすようになると、ある日ふいに「もう自分の人生はあと半分も残っていない」ということに気づきます。

そうなればしめたものです。仕事の人間関係など所詮演技でしかなく、また職場はお金を獲得するための外形的な労働力を提供する場でしかなくなります(あなたのパーソナリティを提供しているわけではないし、元々しなくていい)。これは素晴らしいことです。なぜなら会社の発展と自分の幸福はノットイコールであると悟ることができたわけであり、ひいては「自分=ほかの誰でもない私の人生を費やして獲得すべき、私にとっての"幸せ"とは何か?」という問いに向き合う第一歩につながるわけですから・・・。

だから、職場の人間関係を休日に持ち込むなどもってのほか。金曜の夜はこう宣言しましょう。



同僚よさようなら!!