人気声優上坂すみれさん。ロシア(ソ連)好きな彼女は名前までUSSR(上U 坂S すS みれR)だというからもはやロシアとの出逢いは運命的なものだったと言うほかないでしょう。

『Sumipedia』によると、9歳のときに芸能事務所にスカウトされたとか。
地元で英検を受けた帰り道に声をかけられ、本人というよりも母親の考えで子役を始めることになったと明かしています。

その芸能生活というのは、
オーディションを受けて、合格すればお仕事がある、という感じでした。子役オーディションの現場は、うちの母なんて目じゃないくらいのステージママさん方と、”大人が求める子ども像”を演じられる”プロ子ども”たちがいて、「なんて恐ろしいところに来てしまったんだ……」とひたすら怯えていて。そんな気持ちでいるから当然プロ子どもの皆さんに敵うわけもなく、全然受からなかったです。
遠藤周作さんの『海と毒薬』を読んでいて、ある箇所にさしかかった時にふとこのプロ子どもというのが蘇ってきました。

プロ子ども。昭和の文豪と上坂すみれさんをつなぐ謎の伝統

『海と毒薬』は太平洋戦争末期に九州の大学附属病院で米軍捕虜が生体解剖実験を受けたという凄惨な実話を元にした小説で、この第二章ではある医学生の回想が描かれていました。
小学生のとき、「戸田くん」とクラスの中で唯一くん付けで呼ばれる彼。父が開業医であることから教師も配慮しているようでした。

その彼はまさにプロ子ども。彼は、
どうすれば彼等(大人たち)がよろこぶか、どうすればホメられるかを素早くその眼や表情から読みとり、時には無邪気ぶったり、時には利口な子のふりを演じてみせるにはそれほど苦労もいらなかった。本能的にぼくは大人たちがぼくに期待しているものが、純真であることと賢いこととの二つだと見抜いていた。あまり純真でありすぎてもいけない。けれどもあまり賢すぎてもいけない。その二つをうまく小出しにさえすれば彼等は必ずぼくをホメてくれたのである。
その彼が作文を書くと、かならず教師から高い点が取れるような仕掛けを意識的に組み込んでおくのでした。
たとえば病気の木村君の家に蝶の標本を持っていこうとしたとき、畑のなかを歩きながら「やっぱり惜しくなった」という気分になったということを書いてしまうのです。迷った結果、結局木村君の家にたどり着いて標本を渡す。彼の嬉しそうな表情を見て、僕はホッとする・・・。

教師はこれを見て「なんて正直にネガティブな気持ちまで書いているんだ! 素晴らしい!!」となるわけです。戸田君、心の中でニヤリ。これぞプロの技。

私自身はこれをべつに悪いことだとは思いません。
だって、政治家だって「こういう言い方をすれば有権者は盛り上がるだろう」ということを計算したうえでTVカメラの前でもっともらしいことを言っているじゃありませんか。たとえば小池百合子東京都知事。

『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』の劇場版だって、クライマックスあたりでは普通の小学生、幼稚園児なら絶対に言わないような台詞が出てきます。つまりシナリオを作った時点で「この場面でこういう言葉が出ればキマる。子どもと一緒に映画館に来た親が泣く」という想定があるわけですね。で、親が本当に感動する(少しは疑えよ!)。その意味ではのび太くんも実は二次元のプロ子どもなのかもしれません。でもTV番組なんて放送作家が構成を考えているわけですから、そもそも「これは虚構なんだから」と割り切ったうえで楽しむものでしょう。
だから、そういうものだとわかったうえでわざと騙されて喜ぶようになればプロの視聴者です。東スポとかムーの読者やプロレスファンってそういう楽しみ方をしていますから、もうプロ中のプロ。

さらに言うと就職活動中の大学生も「御社の姿勢が」といかにも面接官が聞きたくなるような話をしますし(私はした、それで某メーカーの内定を取った)、有識者会議に招かれた学識経験者も「政府は自分にこう発言してほしいんだろうな」という気配を察してそういう発言を本当にするというのもよく知られた話です。

あれっ、となるとプロ子どもって案外日本に根づいた文化≒忖度なのかも?

うーん、今日のブログ記事では上坂すみれさんの「プロ子ども」から発想が変なところへ延びてしまいました。