HMVローソンの会員から660円でHMVのサイトから買えるこのCD。

スヴェトラーノフといえばNHK交響楽団をたびたび指揮し、団員からは非常に尊敬されていました。

スケールの大きな音楽で知られており、私も1度だけオーチャードホールでチャイコフスキーの『弦楽セレナード』と『交響曲第6番 悲愴』を聴いたことがあります。それが最初のオーケストラ体験でした。しかしなんという恵まれた「最初」だったことでしょう。
静まり返ったホール内にしずしずと弦の音色が浸透してやがて消えてゆく様子といい、『悲愴』の展開部に入ってからの絶望に満ちた金管の咆哮は空間を切り裂くかのようでした。

元NHK交響楽団員・鶴我裕子さんの著作『バイオリニストは目が赤い』によると「超ロマンチスト」で、「あらゆるメロディを、これでもかというほど遅くして、歌わせた」。
彼の指揮台には小型の扇風機が備え付けられており、アダージョ楽章のような静かなところでも「ブーン」という羽根が回転している音がCDに収録されていることも・・・。音楽づくりだけではなく体型もスケールが大きかったようです。

そのスヴェトラーノフはどうしてもチャイコフスキーとかショスタコーヴィチとかグラズノフのようなロシア音楽が期待されがちである一方で、ドビュッシーの『海』を十八番にしていたこともまた事実です。

660円ならべつに懐が痛むわけでもないし、べつにいいかなと思って軽い気持ちで注文したCDを再生してみて驚きました。
「あらゆるメロディを、これでもかというほど遅くして、歌わせた」という表現は『牧神の午後への前奏曲』にぴったり。ドビュッシーならばデュトワの演奏が定番として知られていますが、彼の世界観とはまた違った『牧神の午後』となっていることは間違いなし。こんなに濃密なオーケストラサウンド、滅多にない!

『海』もやはり独特いや唯一無二の演奏を確立しているのは明らか。
ミュンシュのように鋭角の波が押し寄せてくるわけでもなく、チェリビダッケのように宗教的な高まりを予感させるわけでもなく、ただただ豊穣な波が寄せては返す、その心地よさといったら。

一見何もしていないように見えて、じつはこういうのはすべての音に対して細心の注意を払っていないと達成できない世界であることは紛れもない事実です。しかも注意を払うのは指揮者だけではなくオーケストラの楽団員全員であり、つまり自分の考えていることを楽団員に徹底させなければ不可能だということ。リハーサルなんてせいぜい2日しか取れないはずなのに、どうしてここまで柔らかいビロードのような高級感ある音を引き出すことができたのか・・・。

スヴェトラーノフといえばたしかに優秀な指揮者ではあるものの、いざCDを買うとなったらカラヤンとかラトルとかを求めてしまいがちです。同じことがサヴァリッシュとかレーグナーにも当てはまると思います。しかし最近では過去の録音が次々と発掘され、しかも1枚1,000円を切るような価格設定になっていることがよくあります。そういうCDを耳にするにつれ、指揮者のネームバリューで選ぶのは逆に自分の選択肢を狭める行為だと痛感します。

クラシックといえば裾野が果てしないため手際よく聴き進めないとバッハから武満までカバーしきれず、途中で確実に自分の人生が終わってしまいます。だからこそのネームバリューチョイスになってしまうのですが、それもそれでいろいろな可能性を閉ざすことになってしまいます。

スヴェトラーノフのドビュッシーを聴きながら、あえていろいろなCDにトライしてみることが大切だと実感しました。