子どものころから、毎年夏が始まると手がねっぱる私。

ねっぱるというのは北海道弁で「ねばつく、べたつく」といった意味合いで使われます。
たとえば「この納豆なまらねっぱるべや」。

手がねっぱるというのは、とにかく手汗が出てきて手のひらに汗ものようなものができて赤くなり、痒くなり、水疱ができてやがて皮がむけ、手の皮が生まれ変わって秋を迎えます。

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これが2021年7月下旬の私の手のひらです。手の色にむらがあり、ピンクのポツポツができているのが分かりますね。

このポツポツが手の表面にまで進出してきて水疱になり、それが破れて皮がむける・・・、というプロセスを繰り返します。
制汗剤、ベビーパウダー、いろいろ試しましたが体質を変えることはかなわず、何一つうまく行かないのでした。

自分の体質だから受け入れるしかない

高校1年のときの最初のテストではえらく緊張して、解答用紙が手汗でシワシワになったこともあります。いったいどんだけドキドキしてたんだと。

どうやら自分はそういう「いつもと違う何か」に過剰なまでに反応してしまう傾向があるらしく、テストしかり結婚式のスピーチしかり、仕事でプレゼンをするときも、またヴァイオリンを人前で演奏するときもやたらと使命感を感じるためにかえって逆効果になってしまうことがあります。
そういうときはたいてい手のひらがねっぱっています。

何年も生きてきてこの性格を覆すことはできず、もはや「自分の体質だから受け入れるしかない」という境地に至りました。

今日も「皮がむけて新しくなるんですよ」という話を職場でしていると、「あら、いいじゃないですか」とポジティブなリアクションをもらいました。そういう考え方もあったのか・・・。

自分の悩みを自分の人生の一部にして

面白いことに、HKT48の運上弘菜さんは自分のチャームポイントを「手がねっぱる」ことだとしています。手汗という普通ネガティブなことを自分のアイドルとしてのアピールに変えてしまうなんて、なんというポジティブさ!

しかしよく考えてみれば、「手がねっぱる」ことも自然現象の一つであって、その良し悪しを判断するのはあくまでも自分でした。


という記事で以前書いたことがあるのですが、実は「悩み」こそがその人独自の体験であり、知識とか教養のように外部から付け加えられたものではないからこそ、「悩み」と向き合い、どう対応するかで「自分らしさ」が輝きを放つようになるのではないでしょうか。

まさか運上弘菜さんもそこまで「手がねっぱる」ことに真剣に考えたわけではないと思いますが、チャームポイントとして扱うのも一種の自己劇化であり、通常であればマイナスになるようなことを芸能活動にプラスになるように昇華しているという点では素晴らしい処理だと言えるでしょう。

2021年7月現在、アイドルの握手会はご存知の理由でまったく開催されていません。
もし再開されたら、運上弘菜さんに「実は私も」とおなじ境遇を分かち合うために会いに行ってみようななと思いました。