2021年7月24日に所沢市民文化センターミューズで行われた小山実稚恵さんの演奏会。ベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタである第30~32番がプログラムに取り上げられていました。
『月光』『悲愴』『熱情』そして『テンペスト』や『ワルトシュタイン』のような初期~中期の意志的・構築的な力感あふれるドラマチックな作風から一変して、晩年のベートーヴェンは自分の心の中に分け入るような静けさと旋律性が両立する、ロマン派への入り口ともいえる音楽を次々と世に送り出します。
1822年作の『第32番 ハ短調』は彼がおよそ40年にわたって書き続けてきたピアノ・ソナタの最後の作品となりました。2楽章構成というソナタとしては異例の構成となる一方で第1楽章にハ短調、第2楽章にハ長調と真逆の調性を採用し、ここでも『運命』や『第九』にも通じる闇から光へといった構想が読み取ることができます。
小山実稚恵さんの弾くベートーヴェン後期ピアノ・ソナタはどれをとっても作曲家の心の孤独がにじみ出るような哲学性に満ちたもの。
単純な動機の繰り返しが多いのがベートーヴェンの特徴であり、「タターン」とか「タタタ」のようなそれ自体では意味があるとは思えない短い音の羅列をどう塗り分け、グラデーションを付けてゆくか。
『運命』の第3楽章から第4楽章へ移り変わる部分がその典型ですが、同じ動機を繰り返すだけではなく、音量やテンポ、アクセントの置き方、ピアニッシモからフォルテシモまでの使い分けなどに工夫をこらすことで「短い音の羅列」にすぎないはずのものに無限のニュアンスが吹き込まれ、音がドラマとして命を与えられることになるのです。
小山実稚恵さんのこの日の演奏はまさにそのベートーヴェン演奏の要点を突いたものであり、音楽を構成する細かなパーツを細やかに扱い、ホールに作曲家の心を蘇らせていました。
当たり前の話ではありますが、演奏家は客席に自分の音がどう響いているかを自分で確かめることができません。
フォルテシモはこれぐらいでいいのか、ピアニッシモは小さすぎて2階席のお客さんに届いていないのでは・・・。そういう音量の調整は経験を重ねて体得してゆくしかないのでしょう。
今回、私は1階席中程で聴いていましたが響きのコントロールが絶妙であることに目を見張りました。
深い湖の中へ沈み込むようなピアニッシモから、慟哭のフォルテシモまで・・・、こういう絶妙な響きを駆使できてはじめて晩年のベートーヴェンの心中に分け入ることができるのでしょう。
CDでなら繰り返し何度でも再生することができますが、「今、ここ」でしかない実演をホールで耳にすると、すでに耳が聞こえなくなっていたベートーヴェンがどのような響きを頭の中で思い描いていたのか、言葉ではなく音符を五線紙上に配置することでどのようなメッセージを届けたかったのか・・・、言葉にしなくても彼の思いが伝わってくるような・・・、小山実稚恵さんのピアノを聴いているとそういう感覚にとらわれてしまうのでした。
こうしたしみじみとしたニュアンスに満ちた曲は、響いている音だけでなく、それがホールを満たす沈黙や静寂との関係性をも体得してみて初めて作曲家が想定していた音風景を理解できるはずです。やはり音楽はホールで鑑賞しなくてはという思いを新たにした1日でした。
コメント