真夏にブラームスの『交響曲第1番』とか、ワーグナーの『神々の黄昏』とかを聴きたがる人は少数派ではないかと思います。
ただでさえ暑苦しいのに、「ダダダ、ダダダ、ダダダダーン、ダダダダーンダダダダーン」と執拗に刻まれるブラームスの第1番とか、4時間かけてヘロヘロになりながらたどり着いた結末でブリュンヒルデが燃え盛る炎に愛馬グラーネとともに飛び込んでヴァルハラ城が焼け落ち、ライン川が氾濫して指環がラインの乙女たちのもとへ・・・、なんていうものと関わりたいと思いませんよね普通。
秋になってくると「マーラーでも聴いたれ」という気分になりますが、7,8月でそれは無理。
私はこの季節になるとやたらとバロック音楽の涼しげな音世界に親しみがちになります。
ラモーのクラブサン曲だったり、フックスのレクイエムだったり、フックスのレクイエムだったり・・・、レクイエムが多いですがフックスの場合は題名に反してなんだかフランスの白い大聖堂のステンドグラスから射し込む温かい光を思わせるような明るい作品になっています。
さらにはモンテヴェルディ『聖母マリアの夕べの祈り』なんていう素晴らしい作品も・・・。
思わず頭を垂れたくなる『聖母マリアの夕べの祈り』
エリオット・ガーディナーの指揮による動画を貼り付けておきました。
聖母マリアの、といっても聖母マリアが祈るわけではなく聖母マリアのために捧げる夕刻の祈りという意味です。
それはともあれ作曲者モンテヴェルディは、
16世紀から17世紀にかけてのイタリアの作曲家、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、歌手。マントヴァ公国の宮廷楽長、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長を歴任し、ヴェネツィア音楽のもっとも華やかな時代の一つを作り上げた。(ウィキペディアより)
とあり、バッハ以前の作曲家のなかでは特筆すべき才能だということがわかります。
『聖母マリアの夕べの祈り』を聴いてみると彼の実力は明らかです。
CDならたいてい2枚組のはずですが、その2枚めに収録されているであろう2つのマニフィカートはどちらも25分程度でそう長くはなく気楽に聴くことができます。
歌詞もラテン語とはいえ2,3行の祈りの言葉なので(そしてどうせアニマ・エテルナとかありがちなことしか言っていないので)、難しく考える必要もありません。
しかしマニフィカートに盛り込まれた響きはどうでしょう! ヴェネツィアで活躍したからなのか、オペラを手掛けていたからなのか、ところどころで劇的起伏すら感じさせるメロディそして歌声を交わし合う合唱団の澄み切ったハーモニーの重なりは、「どうせ昔の音楽でしょう」、という不安を拭い去るに充分です。
西洋音楽はリズム、メロディ、ハーモニーとくにハーモニーを重んじていることはご存知だと思いますが、教会音楽では合唱団のハーモニーこそまさに美しさの原点。合唱や吹奏楽、オーケストラをやっている人ならきっと体感していますよね。
現代の普通の曲(コンビニとかで流れてるようなやつ)は電子楽器ばかり多用されているため本当の意味でのハーモニーが欠落しており、一音一音がアラーム音のように直線的でニュアンスもゼロ。
こういう音ばかり耳にしているのは、毎日ファーストフードばかり食べて味覚を鈍くさせていくのにも等しいでしょうし、いかに日本が先進国といえどもそのような音が溢れかえっている現実を見ると、どうしようもない貧しさを感じてしまいます。
「一体何を言ってるんだ?」と思った方は、純正律とか平均律とか、弦楽器をチューニングしたときの「うねり」とかをいろいろ説明しなくてはならないのですがそういうややこしい話をショートカットして「美しいハーモニーとはなにか」を一瞬で理解させてくれるのもまた『聖母マリアの夕べの祈り』であります。
今年の夏はこれだけ聴いて過ごそうかな・・・。
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