企業によっては、新型コロナウイルス感染症のワクチンを接種するためのワクチン休暇を認めるところもあります。

私の勤め先もその一つ。職域接種も受けることが可能です。といっても私が勤務しているところではない、別の拠点で実施しているので、注射1本のために電車で1時間くらい移動して、また同じ時間をかけて戻ってくるという超絶面倒くさいことになりますが・・・。そして2週間後にもう一度同じことを!!

というわけで私の職場では受けた人もいれば、「移動がだるい」ことを理由に地元で受けるという人もいれば、そもそも中長期的安全性が確認されていないものを接種することを心配する人も。

本日、上司から「あなたはワクチン休暇を使わないのか?」とふと聞かれたのでこう答えると・・・。

上司からワクチン休暇を取らないのかと聞かれたので、こう返した

上司「ワクチン休暇使わないの?」

私「いやぁ、自分の不用意な発言が同調圧力とか差別とかを生むかもしれないんで、何も言えないです」

上司「あ、わかった。何も聞かない!」

私「そもそも接種する事自体、本人の意志が前提なので、私はこれは投票みたいなもんだと思ってます」

上司「わかった!」

というわけでこの会話は10秒で終了しました。同調圧力とか差別とかいう言葉が強烈だったらしい・・・。

私の考え

この返事はその場で思いついたものではなく、もし誰かから尋ねられたらこう答えようと1ヶ月以上前から考えていたものでした。

日本では、医療行為はインフォームド・コンセントが前提となっている以上、説明を受けたり、自分で調べたり考えたりした各人の意志が尊重されるのは当然のことです。しかも、ウィキペディアによると、『単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれる』とも書かれていました。

したがって、「私がワクチンを接種したとしても『打ちました』とは言わないし、接種しなくても『打ってません』とも言わない。打った人をヒーロー扱いしないが、打たない人をさげすむこともない」ということをずっと心の中に持ち続けていたのです。

ワクチンを接種することの社会的重要性も分かりますし、他方で評価の確立されていないワクチンを大規模かつ急速に普及させることへの懸念も頷ける話です。

そのうえで、ワクチンを接種するかしないかはその人が判断すればよい、どちらを選択したとしても同じ日本国民である以上、権利も義務も同じだ、私はどちらの人にも中立でいようという考えです。その人の判断を尊重する以上、同調圧力や差別の影がちらつくことで判断がゆがむことは絶対に避けなければなりません。

そもそも私自身が個人主義的傾向が強い性格で(だから「友だちいない」ことをブログのタイトルにもしてしまっている)、自分で調べたり考えよう、その帰結は自分が背負うべきものだと常々考えていました。だから「やりたいことがない、だから周りの人に合わせて安心したい」とか、「本を読んで考えることは面倒だ、むしろTVを見ていたい」のような、いかにも(たとえばですが)「小泉フィーバーを支えちゃったような人びと」に強い嫌悪感を覚えるのでした。だから多くの人と交わることが嫌いになって友だちがいなくなるし、上述のような考えに行き着くんですね。

それにしても「こう聞かれたらこう答えよう」と前々から準備している自分の段取りの良さに我ながら感心しました!