前野孝則・岩野裕一両氏による力作『日本のピアノ100年』は、明治時代~平成に至るまでの日本のピアノづくりの歴史に光をあてた大変な力作です。
西洋発祥のこの楽器を生産する苦闘、ましてや異なる文化に属する工業製品でもあり工芸品でもある、そして音楽を通じて「人の心」を表現する芸術の手段でもある「ピアノ」とどう日本人が向き合い、やがてはヤマハやカワイといった一流メーカーが世界に通用するコンサートグランドピアノを流通させるようになったのかというドラマが描かれています。

この過程で、ヤマハは欧米とくにスタインウェイとの熾烈な競争にさらされることになります。
『日本のピアノ100年』をひもとくと、「熾烈な競争」というよりもむしろえげつない闘争と言ったほうが当たっているようなのですが・・・。

スタインウェイはピアニストを囲い込んでブランドイメージを確立

私は昔仕事でスタインウェイ・ジャパンにお世話になったことがある(本当)なので滅多なことは書けないのですが、ソ連のピアニスト、リヒテルがヤマハのピアノを称賛したのはこの本によるとまさにソ連=社会主義陣営であり、アメリカの製品を使うことに心理的抵抗があったようです。

また、スタインウェイと契約を交わしたピアニストは「スタインウェイ・アーティスト」として扱い、同社製品以外をコンサートで使わないことを条件に世界各地での音楽活動を支援していました。
要するにスタインウェイにしてみれば「わが社のピアノは、この一流ピアニストに認められている!」というお墨付きを獲得できるのでブランドイメージが一層強化されるうえ、ピアニストはピアニストでNYだろうがパリだろうがシドニーだろうが東京だろうが充分整備されたスタインウェイをリハーサルから本番まで使えるという安心感が得られるわけですから共存共栄。

その流れから離れたところにいたリヒテルは、スタインウェイではない質の高いヤマハのピアノと巡り合い、またヤマハも「リヒテルが褒め称えた!」という実績を作ることで蜜月の関係を生み出すことができたようです。このことがヤマハを世界的なピアノメーカーの地位へ引き上げたことは間違いないでしょう。

リヒテルとヤマハの関係は1960年代~70年代に強くなりますが、当時は日本の音楽関係者が「リヒテルに圧力をかけたのだろう」「お金を渡したのではないか」と見ていたこともまた事実だったようです。

外国をありがたがる音楽関係者

『日本のピアノ100年』を読んでいて気になったのが、日本の音楽関係者(いや、実際は音楽関係者にとどまらないのでしょうけれども)の外国をありがたがる姿勢でした。
『おそ松くん』のイヤミは「おフランス帰り」ということでやたらとフランスを持ち上げます。何が何でもフランスを称賛すること自体がギャグでしかないのですがイヤミ自身はそのことに気づいていません。だからギャグなんですけどね。

これは自己肯定感の低さの裏返しなのでしょうか? 詳しくはわかりませんが、この「外国をありがたがる姿勢」は令和の今も私たちの暮らしにいろいろなレベルで結びついています。
私自身はヴァイオリンを弾きますが、買い替えにあたって何度も何度も複数の楽器店を巡りました。
そのなかで身にしみて分かったのが、イタリアとくにクレモナ製のヴァイオリンのあからさまな特別扱いでした。

クレモナ製といっても実態は東欧やアジアからクレモナにやってきた若者が作っていることもままありますが、ブルガリア製、日本製と名乗っていたら50万円になってしまうヴァイオリンが、「ブルガリア人がクレモナで製作した」=「クレモナ製」と名乗るだけで価格が倍になってしまうのでした。

にヴァイオリン選びの顛末は記しましたが、
・イタリア製、とくにクレモナのヴァイオリンがもてはやされているが、必ずしも値段と実力のバランスが取れているというわけではない。
・すなわち、そのブランドイメージゆえにイタリア製ヴァイオリンは価格が釣り上がっている。
・そのクレモナだが、ヴァイオリン製作の伝統が名匠ストラディヴァリの死後、長らく途絶えていた。自らもヴァイオリンを弾いていたムッソリーニがその伝統を人為的に復活させた。
・クレモナには今も世界中から多くの職人が集っている。日本人もそうだ。したがって、クレモナのヴァイオリンだからといってイタリアの職人が製作したものとは限らない。
・アジアの職人が製作したものは、欧米人が製作ものより価格が低くなりがちである。しかしそれは単なる「アジア」のイメージで価格がそうなっているだけの話であり、安い=楽器の実力が低いというものではない。

一般的に、価格と本来の価値が不釣り合いな場合、長期的には、価格は本来の価値と釣り合いが取れる水準まで下落するはずです。
しかし、ヴァイオリン業界ではそういったことが起こっていないようなのです。
その結果としてイタリア製ヴァイオリンの価格が高騰しているようです。

という「おフランス」ならぬイタリア・クレモナ信仰がヴァイオリン業界には根づいているのでした。
ちなみに上述のような情報を教えてくれた店員さんは、日本製のヴァイオリンを几帳面で丁寧な作りだという理由で非常に勧めていました。(私は結局ブルガリア製のヴァイオリンとめぐりあいました。)

・・・と、ここまで書いていてふと思ったのですが、音楽関係者が外国をありがたがるのは、「読者もきっとそう思っているに違いない」と忖度しているからではないかと邪推してしまいました。
だって、読者の心を逆なでするようなことを書いて見放されたらせっかくの『レコード芸術』なり『モーストリー・クラシック』なりの連載が打ち切られ、自分の生活が行き詰まってしまいますから・・・。

となると外国をありがたがる現象というのは、私たちに原因がある、ということになってしまいます。
これは『日本のピアノ100年』だけを読んでいてもわかりませんから、引き続き考え続けていきたいと思います。