セレンディピティというのは「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。 また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること」だとウィキペディアにかかれていました。

「じつはうちの妻に出会ったのがまさにそれで」という人もきっといるでしょう。

キャリア開発もまさにこれで、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が20世紀末に提唱したキャリア理論、”計画された偶発性理論”(プランド・ハップンスタンス)では、「キャリアは100%自分が思ったとおりにコントロールできない。8割は偶然の出来事によって決定されている」とされています。

秋元康さんも次のように語ります。
「タレントの浮き沈みや、スターが誕生するさまをずっと見てきたので、才能や努力だけではない不思議な力が働いていると感じることがあります。僕の人生は出会いの中で道が決まっていたようで、運でしかないなと思うんです」

・・・、「努力は必ず報われる」(略してドリョカム)のたかみなを完全に否定していませんか。

さて音楽の世界でもやはりセレンディピティは実在しました。
ご存知のとおり、カザルスとバッハの『無伴奏チェロ組曲』の出会いです。

音楽史上まれに見るセレンディピティ、カザルスとバッハの出会い

1890年のある日、カルロスはバルセロナの中古楽譜屋で、バッハの『無伴奏チェロ組曲』の、ホコリまみれになったグリュッツマッハー版を発見しました。

その店に入ったそもそもの理由などすっかり忘れてしまい、これまで誰も私に存在すら教えてくれなかったその楽譜をじっと見つめるばかりだった。あの古い楽譜の表紙をときおり眺めることがあるが、海の香りが微かに漂うあの古くて黴臭い店の内部が再び蘇ってくる。その組曲の楽譜を買って帰り、何度も何度も目を通した。この楽譜は私のお気に入りの音楽となった。十二年の間、私はこの曲を勉強し、毎日練習していた。やっと人前で弾くだけの勇気がもてるようになったときには、もう二十五歳も目の前だった。

こうしてカザルスのレパートリーとなったバッハの『無伴奏チェロ組曲』は彼の手によって見事に蘇り、今なお世界中のチェリストにより不朽の名曲として弾きつがれています。

もしもカザルスがこのときこの曲と巡り合っていなかったら・・・?

シューベルトの『未完成』や『ザ・グレイト』が発見されたのも似たような経緯で、前者はヘルベック、後者はシューマンによりこの世に送り出されるきっかけを与えられています。

まさにこれぞセレンディピティであり、偶然の出会いが音楽の歴史を刻んでいることになります。

ただ引っかかるのが、「こういうきっかけを与えられないまま、ひっそりと埋もれていった名曲もあったんじゃないか?」ということです。たぶんあったでしょう。そういう作品は、今も誰かが見つけてくれる時を待ち望み、古本屋の片隅で息をひそめているのかもしれません。

見つかった曲、見つけられなかった曲、そこにはどういう違いがあるのでしょうか?
(秋元康さんが作詞した某アイドル曲にもそういう歌詞があった!)

ああ、だからヴァイオリニストの佐藤久成さんはさまざまな「埋もれた名曲」を発掘しようとし欧州を探し回っているのでしょう・・・。

こういう努力をこえたところで歴史が変わってしまうのかと思うと、単にセレンディピティという言葉で片付けられない「何か」があるのではとすら思えてなりません。