東京バレエ団の全国ツアーであるHOPE JAPAN 2021が2021年7月3日(土)、東京文化会館を皮切りに7月19日(月)まで大阪からいわきまでさまざまな街で演じられます。

私は初日つまり本日の公演に足を運び、上野水香さんの踊る「ボレロ」に深い感銘を受けました。

人はなぜ踊るのか。なぜ今、「ボレロ」なのか。

赤い円形舞台の上にひとり立つ上野水香さんは、ときには不死鳥のように腕を広げ、ときには身を沈めて息をひそめるかのような素振りなど、一挙手一投足からこの作品を通じて伝えたい表現への強い意志が込められていることが感じられ、じっと舞台を見ていると、なぜ人は踊るのか、なぜ今「ボレロ」かという「問い」に対する「答え」を見たような気分になりました。

人はなぜ踊るのか?

そもそも人はなぜ踊るのでしょうか。そのことで病気が治ったり、成績が上がったり、お金が増えたりといった直接的なメリットというものは普通発生しません。それなのに、どうして人は歌ったり踊ったり・・・?

私が上野水香さんの「ボレロ」を見ながらふと思い出したのがアルベール・カミュの「シーシュポスの神話」でした。このお話ではシーシュポスは神々から山頂まで岩を運び上げるという神罰を課せられてしまいます。
彼が渾身の力をふりしぼりやっと山頂へ岩を持ち上げても・・・。

なんと、岩はそれ自体の重みでゴロゴロと地上まで転がり落ちてしまうのでした。1回、2回ではなく何度持ち上げてもそのたびに元の木阿弥になってしまうという不条理!

シーシュポスのとった行動とは、「再びその岩を持ち上げるために下山し、何度でも何度でも岩を運び上げる」。

カミュはシーシュポスの行いを、無限に続くかのように思える労働者の毎日にたとえています。

何百回、何千回と岩を山頂へ運ぶという神罰は見かけ上は不条理なものにすぎません。
しかしシーシュポスは、自分の行動、態度こそが自分の日々を決定するものだと信じ、たとえ不条理であっても「すべてよし」と受け止めています。

カミュはこう「シーシュポスの神話」を結んでいます。
「頂上をめがける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりうるのだ。いま、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ」。

すなわち、どのような苦痛・苦役であっても人はその運命を受け入れ、「すべてよし」とすら感じることが可能であるという「人間の尊厳」にすらつながっている幸福感の原点を示したものとすらいえるでしょう。

これをバレエに引きつけて考えるならば、たとえ「踊り」がその瞬間瞬間に消え去ってしまうものであり、今回の舞台で会心の表現ができたか、できなかったか、観衆に自分の伝えたいことを伝えきったか、伝えたつもりでも本当に伝わっているのか・・・。
このような葛藤がありつつも、やはりバレエダンサーにとっては踊ることそれ自体が誇りであり、その身体表現をもって観衆に「何か」を伝えようとする、それが生の充足感につながっているのであり、人が踊る理由にも結びついているのでしょう。

本日「ボレロ」を生で観て改めて思ったのは、バレエの感動とは、表現者一人ひとりが伝えようとする「何か」=メッセージの強さいかんにかかっているということでした。だから、バレエなり音楽なり文学なり、表現者たらんと志す者はすべて、自分だけの「何か」、それは容易に言語化されないものであるにせよ、伝えたい「何か」を心の中に持っていなければなりません。

日本画家・千住博さんは芸術をこう定義しています。
芸術とは、伝達不可能と思えるようなイマジネーションをもコミュニケーションしようとする行為のことです。そして、人間とは、複雑な心の内やわかってもらいたいことを何とかして伝えあおうとコミュニケーションをする人たちのことです。

人は「誰かに自分のことをわかってほしい」という潜在的な願望があります。その実現こそが「生きる意味」を実感することにもつながっているはずです。その願望が強烈なひと握りのものがピアニストなり小説家なり、バレエダンサーなりを志すのでしょう。

そして、彼らの表現が私たちの心の深いところに届いたとき、私たちの心の中にそのメッセージが受け継がれたことになります。
国際的に活躍するピアニスト・内田光子さんはある知人にこう語ったそうです。
「演奏とは、聴き手の時間の“質”を変える行為。その時の記憶が終生あなたの脳裏から消えないなら、私はあなたの人生の“何か”を変えたことになるのです」。このような一人ひとりの果てしない積み重ねの先に社会に文化が蓄積され、やがてそれが伝統として根づいてゆくのだと思います。

こうしたメッセージの受け渡しこそ人間だけができる行為=文化活動であり、まさしく文化こそが人間の証明でもあるのでしょう。
皇后(当時)美智子さまは第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会(1998年)の基調講演で、次のようにお考えを述べられ、人の心に橋をかけること=メッセージを受け渡すことが平和につながるとしています。
生まれて以来,人は自分と周囲との間に,一つ一つ橋をかけ,人とも,物ともつながりを深め,それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなかったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく,内にも向かい,自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ,本当の自分を発見し,自己の確立をうながしていくように思います。

(全文は宮内庁HPでお読みいただけます。)
今日私が初めて実演に接することができた「ボレロ」こそ、紛れもない表現者と私たちの間に橋をかけ、希望と言うべきか、誇りと言うべきか、東京バレエ団が今伝えたいメッセージを届けたものと考えられます。上野水香さんという素晴らしい表現者に心からのエールを送りたいと思います。