Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』の第9巻。
YAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)日本予選で栄冠を目指して踊る奏、翔子、絵麻。

ヒロイン奏はなんと3位を受賞、そしてマルセイユ国立舞踊学校への短期スカラ獲得という快挙を成し遂げます。第1巻からなんと遠いところへやってきたのでしょうか。

一足早く海外へ飛躍した栗栖さくらはミュンヘン・バレエ・アカデミーでクラスの仲間たちと溶け込めずに溝を実感していました。

パ・ドゥ・ドゥクラスでうまく意思の疎通が図れなくて困ってるんだ
(中略)
すっごくイライラしてるのが伝わってくるんだよね 笑わないし しゃべらない
一人ではあれだけ踊れるから 俺に怒る気持ちもわかるけど

えーサクラも悪いんじゃん 言葉が通じないんだとしてもさ
歩み寄りの姿勢すら見せないじゃん
仲良くなれそうな気がしないよ
この言葉を偶然耳にしてしまったさくらはその場を立ち去ります。
これくらい別に 日本にいた時もよくあったこと
バレエの邪魔になるような馴れ合いなら こっちだってごめんなんだから

おそらくさくらは周りの人よりも抜きん出てストイックな性格の持ち主。
目標追及型の人生を送る人は、人の輪の中にいると不幸を感じやすく、自分一人で自分の目標に邁進しているときに幸福を感じやすいそうです(メンタリストのDaiGoさんがそう言ってました)。さくらもきっとこのタイプでしょう。

この場面を読んでいると、吉田都さんの著作『バレリーナ 踊り続ける理由』のとある一節を思い出さずにはいられませんでした。


自己主張することにより他人と理解の橋をかける

吉田都さんは、英国ロイヤル・バレエのプリンシパルたちは自己主張が強いが、そのぶんしっかりと責任もとる、そういう個性の集まりだったと回想しています。
言い争うこともありましたが、互いにはっきりと主張し合うと意外とそのあとはさっぱりしたもので、根に持つことはありません。知らず知らずの間に鍛えられていく自分がいました。
人間関係は、易しいことばかりではありません。
ぶつかったり、叱られたり、失敗して落ち込んだり、そんなのは当たり前。
(中略)
対立から学ぶことも多いものです。傷つくことを避け続けていると、些細なことで心が折れるようになってしまうかもしれません。なにより、本音で勝ったり合えなければ、打ち解けあうこともできません。

この発言の正しさは、新国立劇場・合唱指揮者の三澤洋史さんが外国人の指揮者と多く仕事をした経験から書かれた次のような文章によって妥当であると分かるでしょう。
日本人は、対立やいさかいを嫌うけれど、西洋人と仕事をする時、対立から始まって相互の理解が生まれることが少なくない。西洋人は、今回のような(注:この場面の直前でイタリア人指揮者と音楽表現をめぐって険悪な雰囲気になっていました)言い合いをした後だって、意見が合えばハグしたりするのだ。いやそれよりも、対立することによって、相手が何に対しどのくらい”譲れない大切なもの”を持っているか理解出来、そのことによってお互いをリスペクトすることが出来るのだ。

このように、欧米では自己主張することによって、自他の理解の橋をかけることがスタンダードであるため、日本人のコミュニケーション様式とはかなり異なっていることがおわかりいただけるでしょう。

『絢爛たるグランドセーヌ』第9巻に描かれたさくらは、クラスの仲間たちと自分はどう思うのか、あなたはどう思うのかという橋がかかっていない状態にあるようです。

「橋」といえば、印象深い言葉があります(この言葉を私も最近知りました)。
皇后(当時)美智子さまの1998年のお言葉で、第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会にあたり、ビデオメッセージを寄せられました。この中で幼い頃の読書体験と平和について触れ、こう述べられています。
生まれて以来,人は自分と周囲との間に,一つ一つ橋をかけ,人とも,物ともつながりを深め,それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなかったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく,内にも向かい,自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ,本当の自分を発見し,自己の確立をうながしていくように思います。

自分と自分自身の間の橋というのは、読書を通じて心の世界を広げてゆくことを意味するはずです。
さくらとミュンヘン・バレエ・アカデミーの仲間たちは、まさに「この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなかったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います」という状況にあるのでしょう。

さてさくらは心を開き、仲間たちに向けて橋をかけることができるのでしょうか?
次巻以降も引き続き注目していきます。