私は10年ほど前から毎月少しずつではあるものの、一般財団法人あしなが育英会に寄付をしています。

それでとくに見返りを求めているというものではなく、ただ私には家族がいるわけでもなく住宅ローンを抱えているわけでもなく、明らかに経済的に身軽だということを自覚していたので、「何か自分にできることはないだろうか?」と思って始めました。

あしなが育英会からは定期的に会報「NEW あしながファミリー」という新聞が送られてきており、紙面は経済的に苦しくても前を向いて諦めず自分の進むべき道を模索する学生たちの姿で埋め尽くされています。
彼らの声に耳を傾けるたびに、日々年を重ねて自分のすり減ってゆく「何か」を取り戻したような気がして、また次世代のために自分がすこしでもできることをしたいという気持ちを新たにし、深い感動を覚えます。

今日(2021.6.23)も会報第170号が自宅に届き、目を通してみると、そこには奨学金制度と支援者への感謝がつづられていました。

アルバイトを削られ経済的に厳しくなる一方で、大学はオンライン授業となり施設が利用できないのに学費は変わることがなく、貯金が減ってゆくばかりであったこと、しかし育英会からの支援により生活をつなぐことができたこと。

食事に事欠き母とラーメンをふやかして量を増やして食べ、育英会からの給付を待っていたこと。

今なお緊急事態宣言の影響で自宅待機が続き出勤できないため母の収入が減少している状態であり、育英会からの給付金により家賃を払うことができたこと。

私も
に書きましたとおり、毎月の寄付とは別にさらに寄付を行い、戦後最悪の経済危機に対して自分なりにできることを行ったつもりです。どうせ私がお金を持っていたところでどうせろくでもないことにしか使いませんから、これぞ「生きたお金の使い方」。寄付をしてよかったと、心の底から思います。

「コロナは若い世代を壊した病気だ」

歴史人口学者、エマニュエル・トッドはフォーブスジャパンのインタビューでこう語っています。

「今日ではコロナは高齢者が犠牲になる病気だとみんなが言っていますが、2100年になったころに、そのときの歴史学者たちが振り返って何を言うかというと、コロナは若い世代を壊した病気だと言うでしょう」

トッドは今年で70歳。新型コロナに罹れば重症化のリスクが高い。来週、救急搬送されている可能性だって十分にある。「冷たい分析のように聞こえるかもしれませんが、これが歴史の観点がさせる分析の仕方です。高齢者は重症化し、死亡するリスクが高い。では、それが影響を与えるのかというと、高齢者なので人口全体の構造への影響はほとんどないのです」。

それよりも深刻な問題を招くのは、若い世代がコロナのせいで家に閉じ込められていることだという。

「この危機によって犠牲を払わないといけないのは若者です。若い人たちが外出できず、自由に出歩けないでいる。このことで、彼らはこれから何十年という単位で影響を受けることになるでしょう」。

(https://forbesjapan.com/articles/detail/40535/4/1/1より)
私の考えもこれとほぼ同じです。
2020年3月14日つまり新型コロナウイルスが日本で確認された、ごく初期の段階で安倍総理(当時)は次のように発言しています。

これまでのデータでは感染が確認され、かつ、症状のある人の80パーセントが軽症です。重症化した人でも半数ほどの人は回復しています。クルーズ船も含めれば、感染者の4割以上、600人に及ぶ方々が既に回復し、退院しておられます。他方、お亡くなりになった方は、高齢者の皆さんや基礎疾患のある方に集中しています。

(https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0314kaiken.htmlより)
ここから先は現在に至るまで、死亡者は「高齢者」または「基礎疾患のある方」もしくは「高齢者であり、かつ、基礎疾患のある方」。ミクロをほじくり返せばきりがありませんが、マクロ的にはずっとこのパターンです。
つまり「高齢者は重症化し、死亡するリスクが高い。では、それが影響を与えるのかというと、高齢者なので人口全体の構造への影響はほとんどない」のですが、そのような死亡を防ぐために労働者は働くことができず、学生は学びを阻害され、社会の長期的持続可能性を大きく毀損することになります。

ところが安倍総理の記者会見ののち、TVには恐怖感ばかりを強調した報道一色となり冷静な議論がなされず、日本国憲法との整合性も吟味されないまま緊急事態宣言へと突入。その後も政策を転換することができず膨大な経済的損失を生みました。

おそらく「コロナ禍とは、シルバー民主主義に陥った先進国が高齢者を守るために若者を犠牲にした壮大なから騒ぎだった」と結論づけられる日が来るでしょう。

そうした状況に対し、「自分一人が頑張っても仕方ないし」と何もしないのか、「自分にできることはなんだろう」と自問するのか・・・、私は後者であり、かつ現実に実践できたことを嬉しく思います。
若い学生の皆さんは今回の出来事を歴史の教訓として後世へ語り伝えていって頂きたいと心から思います。