Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』の第8巻。
YAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)日本予選で火花を散らす若き才能達の活躍と葛藤が描かれているこの巻において、チャンスをつかみ取り次のステップに進む者の喜びと緊張が表現されているのはもちろんのこと、苦い現実もきちんと盛り込まれています。

ジュニアやシニアの女子部門がいかに狭き門であるか、次のように語られています。
どの子も真剣で テクニックは素晴らしく体形も美しい
アンディオールやつま先の甘い子もそれほど目立たない
ヴァリエーションでミスする子もほとんどいない

(中略)

貴重な学校生活の時間を犠牲に――
それだけがむしゃらに頑張っても
国内にこの子達の受け皿は驚くほど少ない
ほとんどがこぼれ落ちてしまう
コンクールに教え子を参加させるたびに思い知らされる
私もこの残酷な競争を彼らに強いている大人の一人
たしかに日本のバレエ人口は世界一であっても、劇場に定期的に足を運んで『くるみ割り人形』や『海賊』などを鑑賞しようという固定客はきわめて限られているというのが現実です。

私自身新国立劇場なり東京文化会館なりでバレエを観ることがありますが、周りを見渡すと「きっとバレエ経験者なんだろうな」という人たちがほとんどで、男性客はまばら。一般の人がバレエを好きになるきっかけそのものが限られている以上、バレエ界のもつ経済のパイが小さく、「食える仕事」になりづらいという構造的問題があります。

がむしゃらに頑張っても受け皿が少ないという現実は、当事者そしてその家族にたびたび軋轢を生むことがあり、成功者になるためには青春の可能性のほとんどを閉ざし、一点集中で取り組まなければならないというギャンブルになりがちです。
それで失敗したらどうなるのか? そういうためらいを捨てて初めて、プロになる「可能性」(あくまでも可能性)が開けるのでしょう。現に東京藝術大学のような一流の芸術系大学を卒業しても本当にアーティストを名乗れ、生活が成り立っている人はごくわずかですから・・・。

かつてゴーストライター問題で有名人となってしまった作曲家の新垣隆さんも、「現代のベートーベン」と言われた人物と親交があった、義手のヴァイオリニスト「みっくん」(大久保さんという方)とのはざまで大変な人間関係の苦労をされたようです。

彼女は中学校に進学したときに卓球部に入りたいと思いたち、「現代のベートーベン」氏はなぜプロを目指さないのだ、卓球などやっている場合かと怒ったそうです。プロを目指すのであればそれは正しい判断といえるでしょう。彼女のヴァイオリンの先生も同じ意見でした。
ところがご両親はヴァイオリンや卓球、学校の勉強など幅広い機会から様々なものを吸収してほしいという考えだったらしく、ここでヴァイオリンの先生・「現代のベートーベン」氏とご両親がぶつかることになりました。

新垣隆さんはこれまでに音楽家として似たような事例を見てきた経験上、このトラブルを「またこの話になってしまったか」と苦々しく回想しています。

このような事件も背景にはプロの表現者を目指すために10代のうちに天秤にかけることになる「失われるもの」と「得られるかもしれないもの」という、いわば「踏み絵」があると考えられます。

『絢爛たるグランドセーヌ』第8巻の末尾はこのような言葉が語られています。
たくさんの少年少女が日夜夢に向かって厳しいレッスンに励んでいる
親も子供の熱意に応え精神的にも経済的にもできる限りのバックアップをする
だが そんなこの国でプロとして身を立てられるバレエダンサーは一握り
チャンスはむしろ国外に 世界の舞台にある
このような少年少女たちの中から、熊川哲也さんや吉田都さんのようなスターたちが誕生することになりますが、その影には多くの若者たちが心ならずも舞台を去ることになります。
しかし、そのような人たちが、成功者よりも努力しなかった、苦しまなかったとなぜ言えるでしょうか。なぜ悲嘆の涙を流さなかった、栄冠を目指す熱意が足りなかったと言えるでしょうか。彼らにも彼らなりに成功者とさほど変わらぬ悩みや葛藤、そしてかけがえのない青春があったはずです。

いわゆる「敗者」として表舞台を去る少年少女たちの姿を思う時、誰の目にも止まらずひっそりと咲き、そしてしぼんでゆく花を想像せざるを得ません。
幕末~明治初期、戊辰戦争に旧幕府側の軍人として参加し、五稜郭の戦いで捕縛された幕府側の武士、荒井郁之助は晩年に次のような歌を残しています。
手にとれば
高き梢(こずえ)の花の香も
下枝(しづえ)のものと
かわらざりけり
高い枝に咲き誇る花も、下の方でひっそりと咲いている花も、同じようにかぐわしく美しい・・・。
動乱の時代を生き延びた彼が自分の人生を振り返ったとき、溢れ出た観照を綴ったものでしょう。
であれば、たとえ成功しなかったとしてもその人生の価値は成功者たちと何も変わらない、私はそう一人ひとりの挑戦者たちに呼びかけたいと思います。

『絢爛たるグランドセーヌ』第8巻に目を通し、プロを目指すことの厳しさ、そして栄光をつかみ取ることができない者にもまた一度きりの尊い人生があることを改めて実感しました。