ポムポムプリンのTwitterはたまに哲学や詩を連想させる言葉が投稿されています。

この日は「雨があるから、花が咲き続けられるんだね〜♪」
一見マイナス要素に見えることでも視点を変えると、それがあるからこそ活きるなにかもあるということですね。

これはフレデリック・ラングブリッジというアイルランドの詩人の言葉「二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た」にも通じる世界観だといえるでしょう。

どのような状況であっても、その「状況」をどう評価し、自分はそして何をするのかはまさに「わたし」に委ねられています。

ローマ帝国の皇帝であり、五賢帝の一人でもあったマルクス・アウレリウスもこう述べています。

君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。

そのおよそ2000年後、ナチス・ドイツはドイツ国内、そして占領地域の各地に強制収容所を建設しおよそ600万人とも言われるユダヤ人を抹殺しました。

囚人の一人であったヴィクトール・フランクルは『夜と霧』において、過酷な環境のもとでもなお毅然と振る舞おうとする人びとの姿を発見し、次のように記述しています。

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

この文章からは、遥か昔に書かれたマルクス・アウレリウスの言葉と響き合うものがあります! じつはフランクルはナチスを告発したくて『夜と霧』を書いたわけではなく、極限状況下という条件のもとで問いかけられた「人間とはなにか」への答えを出したいというのが執筆の動機だったようです。

・・・という堅苦しいことを考えるためにポムポムプリンのTwitterがあるわけではないと思います。
こんな気楽なツイートも。

こうやって、ふと哲学的なことを連想したり、ただただのんびりできる投稿があったりと、ちょうどよいゆるふわ感がポムポムプリンのTwitterの魅力です。
これからもフォローしていこうっと。