第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会が1998年に開催され、皇后(当時)美智子さまはビデオメッセージを寄せられました。

から全文を読むことができますが、子供時代の読書の経験から語り始め、平和へ寄せる強い思いがにじみ出る非常に心優しいお話となっています。

冒頭、美智子さまはこうお話しされます。
児童文学と平和とは,必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう。又,云うまでもなく一冊,又は数冊の本が,平和への扉を開ける鍵であるというようなことも,あり得ません。今日,この席で,もし私に出来ることが何かあるとすれば,それは自分の子供時代の読書経験をふり返り,自分の中に,その後の自分の考え方,感じ方の「芽」になるようなものを残したと思われる何冊かの本を思い出し,それにつきお話をしてみることではないかと思います。そして,わずかであれ,それを今大会の主題である,「平和」という脈絡の中に置いて考えてみることができればと願っています。

生まれて以来,人は自分と周囲との間に,一つ一つ橋をかけ,人とも,物ともつながりを深め,それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなかったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく,内にも向かい,自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ,本当の自分を発見し,自己の確立をうながしていくように思います。
この「橋」が曲者でした。
「この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなかったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います」。

このブログタイトルは「友だちいない研究所」。これまでさんざんぼっちエピソードを書き散らしてきました。
とにかく友だちがいないので、大学時代はグループワークを一人でやったこと。卒業式も一人だったこと、社会人になってからも友だちがいない生活で、ヴァイオリンの練習に集中して取り組むようになってからは土日はヴァイオリンとジョギングだけで夕方になってしまうので人と会おうという意欲は湧いてきません。いや、人と会う時間があるなら練習してますって・・・。

と、そういうライフスタイルの自分が美智子さまのお言葉を読んだ瞬間、「そもそも人と人の間に橋を掛けようという意欲がない寂しい奴なんじゃないか?」ということにフッと気づいてしまったのでした。

自分の性格上、「やりたいことに突き進む」という、普通の人から見れば逸脱しやすい傾向があるとは自覚していました。転じて、「自己責任でやりたいことをやってるだけだから、別に誰もついてこなくていい」という考えになりがちです。

たしかに世の中、友だちを必要としない性格の人は存在します。
メンタリスト・DaiGoさんはこう語ります。

(追求型の目標を持つ人は)より大きな人生の目的を達成することを目標に持っているので、ただ友達と遊んだりコミュニケーションを取っているというだけではそこから幸せを感じられなくなるわけです。それどころか、人間関係も面倒に感じてしまいます。

友達が多すぎると人間関係を維持することに自分が人生の目的を達成するための大切な時間やリソースを阻害される可能性があります。ですから、自分の目標を追求しても人間関係が壊れないような良い友達、もしくは本当に厳選された頻繁に会わなくてもいいような友達以外は基本的には邪魔になってしまうということです。

(https://daigoblog.jp/intelligence-friends/より)
だから研究者とかアーティストは孤独に耐えて、自らの道を突き進むタイプの人が多いのでしょう。

私はどうか。研究者でもアーティストでもありません。ただのサラリーマンです。
ということは上記のような性格は生きていく上でデメリットでしかないのです。単純に周りから「変なやつ」と思われて、当たらず触らずでなんとなく避けられるだけなのです。だからなおさら「孤立し,平和を失います」。

・・・ちーん・・・。

さて皇太子殿下(当時。のち昭和天皇の後を継いで即位)は師・小泉信三との対話のなかで「思いやりの深い人に、助けてもらいたい」と結婚観を吐露したことがあります。
見事に二人の間には橋が掛かり、その後長年にわたり歩みを共にすることになります。お二人の仲睦まじいお姿を見ていると、いかに自分がぼっちな奴なのか思い知らされるのでした・・・。