NHKの番組『天皇 運命の物語 第4話「皇后 美智子さま」』において、幼いころから読書が好きだったというエピソードが明かされた美智子さま。

第26回IBBYニューデリー大会(1998年)におけるビデオメッセージではこう述べられています。
まだ小さな子供であった時に,一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので,今,恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる,新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。
そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみが一杯つまっていることに気付き,友達を訪(たず)ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみは一杯つまっている,と答えます。小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。

あの頃,私は幾つくらいだったのでしょう。母や,母の父である祖父,叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは,私が小学校の2年くらいまででしたから,4歳から7歳くらいまでの間であったと思います。その頃,私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた,と知った時,簡単にああよかった,と思いました。それだけのことで,特にこのことにつき,じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

しかし,この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。
このような体験がもとで、美智子さまは元華族ではないものの社長令嬢としておごり高ぶることなく、気品とともに明るさ、そして様々な立場の人へ心を寄せるやさしさを培っていったのだと思われます。

小さい頃の読書がいかに人の心を耕すかが本当によく分かるエピソードといえます。

皇太子殿下(当時)は、帝王学を授けた小泉信三にこう語ったと伝えられています。
「自分は生まれと境遇から世情にうとく、人への思いやりに欠けるところがある。人情に通じ、思いやりの深い人に、助けてもらいたい」。
この言葉どおりに、皇太子殿下は美智子さまと軽井沢で知り合い、やがてご成婚へ。

上述の番組では、学習院時代の皇太子殿下の学友が登場し、「理科の実験のときには皇太子殿下は『お前これやれよ、あれやれよ』と指図し、失敗すると『ダメな奴だな』のようなことを言った」というお話が披露されています。あまりにひどかったのか、同級生からたしなめられてしまうこともあったとか・・・。
この性格はご自身でも自覚していたからなのか、小泉信三との言葉のやり取りの中で「思いやりの深い人に、助けてもらいたい」とつぶやいたのはこれが理由だったのでしょうか。

雲仙普賢岳の噴火から東日本大震災、西日本集中豪雨に至るまで、平成のおよそ30年間は災害の時代でした。このような中、天皇陛下はご自身のたっての希望により全国の被災地を訪ねられ、被災者と直接言葉を交わしあい、「元気でね」と激励されました。

思えば天皇陛下が自ら会おうと希望されたのは、いわゆる「成功者」ではなく、たとえば被災者であり、障害者であり、高齢者など、「弱者」という立場で語られる人でした。
昭和天皇の時代には考えられなかった、同じ目線で触れ合おうとするお姿は、おそらく美智子さまの人柄から吸収していったものと思われ、その美智子さまは何によって形づくられたのかというとやはり「でんでんむしのかなしみ」をはじめとする児童文学がその始まりであったのではないでしょうか。

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」。天皇陛下は天皇としての最後の記者会見でこう述べられました。
全身全霊で天皇としての務めを果たし、また様々な悲しみを抱えた国民と向き合い、さらには先の戦争で失われた戦没者の魂を慰めるために南太平洋の島々を歴訪されたその姿勢を支えたものの一つとして、美智子様が読んできた「本」という存在がひそかにあるのでは・・・。やはり幼い日の読書は大切なのでしょう・・・。