2021年6月6日、サントリーホールで行われた井上道義さん指揮、NHK交響楽団による演奏会のプログラムはシベリウスの『交響曲第7番』とベートーヴェンの『交響曲第3番 英雄』。

ベートーヴェンはともかくとしてシベリウスの『交響曲第7番』はそれほど頻繁に演奏会の演目に載るわけではなく、貴重な機会でした。

会場で配付されたパンフレットによると、この曲の魅力とは
3/2拍子による茫洋とした音響空間の中で、とてつもない「幸福」と「寂寥」が、平然と同居しているところにあろう。
(中略)
この背景には、彼の祖国フィンランドの状況が横たわっている気がしてならない。というのも、独立を果たしたあとに書かれた<<第6番>>と<<第7番>>を満たしているのは、紛れもなく一種のノスタルジーであるように感じられるからだ。大きな願いが成就したあとの幸せと虚しさ、と解釈するのはロマンティックにすぎるだろうか。

と書かれていました。

この『交響曲第7番』初演は1924年。その後シベリウスはほとんど作品を発表することなく、1957年に世を去りました。だからこれは事実上の最後の作品といってもよいでしょう。

私はこの曲をCDで何度聴いても、「?」と狐につままれたような気がして魅力を感じることができませんでした。

しかしそれは間違いでした。そもそもシベリウスの時代にCDはなく、レコードも一枚数分の再生能力しかなく、交響曲といえばコンサートホールで聴くことを当然想定していたはずです。

今日、世界一の響きを誇るサントリーホールでシベリウスが書いた響きの世界に身を浸していると、そこまで深く楽曲の分析などと難しいことを考えなくても音の連なりが心に染み渡るのでした。


私はこのようにツイートしました。
ただこうした情感というのは、やはりある程度年を重ねてみないと自分の心の中に湧き出てくるものではなく、「年を重ねる」=老いを受け入れるという覚悟があって始めて得られるものかもしれません。

そう考えると人は若い頃のキラキラした体力とか意志を失いながら、また新しい「何か」を手に入れていくものであり、その切なさこそが生きる味わいに結びついているのだという感慨を覚えざるを得ません。

とすればシベリウスしかり、ベートーヴェンしかり、いやモーツァルトだろうとブラームスだろうと、彼らの作品に接するうえで「年を重ねる」とは曲の魅力を体得するための出逢いや学び、思い出がぎっしり詰まった大切なプロセスであるのでしょう。

こういう実感をまさかなんとなくチケットを確保したNHK交響楽団の演奏会で得ることになろうとは、やはり演奏会には足を運ぶものだと強く実感しました。