東京大学教授で、専門は政治思想史だった丸山眞男は音楽をこよなく愛していたことで知られています。
彼の音楽関係の蔵書は評論や解説書の類はほとんどなく、主に楽譜だったそうです。

つまり誰かの言説に惑わされるのではなく、徹底して自分で楽譜を研究して、自分はどう考えるか、またそれはなぜかを楽譜にどんどん書き込んでいったようです。

日産自動車の関係者に昔言われたことがあります。「現場で現物を見て現実的に判断しろ」。
いわゆる3現主義というやつです。
とすれば丸山眞男がやっていたのは、音楽の3現主義といえますね。

こういう音が聴こえるが、どうして? この音形はどういう意味をもつの? この動機はあとでどういうふうに展開されるの? この手の疑問は解説書を読むと「この動機が再現部ではこのように変化している」のように説明が掲載されていることが多いですが、手っ取り早く答えがわかる反面、人から苦労なく教えられたものだけに「ああそうかな」で終わってしまい次の日には忘れているのが現実です。

だから、楽譜を読みながら音楽を聴いて自分なりに理解を深めていくことが大切です。
こういうことをしていると、本当に「わかった」にたどり着くまでに膨大な時間がかかってしまいます。
ヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、チャイコフスキー、ヴェルディ、プッチーニ、マーラー、エルガー、シェーンベルク、R.シュトラウス、ストラヴィンスキー、武満となんでもかんでも手を広げることは短い人生のなかでは現実的に不可能であり、自分なりに「室内楽を極めよう」とか「イタリアオペラの世界を探究しよう」のような専門を決めておかないと「なんでも知っているように見えて、本当は深く知らない」に陥ってしまいます。

私自身は先日ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調』の楽譜を購入し、スコアを見ながら音楽を聴いたのですが、そうするのとしないのとで音楽に向き合う集中力がまるで違うという体験をしました。
当たり前かもしれませんが、クラシック音楽は演奏時間が普通の歌謡曲などに比べて大変長いので、聴いているうちにだんだんぼんやりしてきて、印象的なメロディのところだけまた注意して、まただんだんぼんやり、、、ということになりがちです。

ところが手元にスコアがあるだけで、ずっと音楽を目で追っていることになり、聴覚と視覚の両方で音楽に向きあうことになるので作品を理解するスピードは段違い。

たしかに自宅に『運命』なり『田園』なりのスコアはあったものの、読みながら音楽を聴くのは年に数えるほど。宝の持ち腐れとはこのことです。

私の専門はヴァイオリン音楽だと自認していますが、せめてヴァイオリン・ソナタや弦楽四重奏曲くらいは一通りの作品のスコアは常備しておこうと今回の体験から決意しました。
そうしないと音楽をきちんと把握できないまま人生が終わってしまいますからね・・・。