ヴァイオリンを弾くということはとてつもなくむずかしいことで、まっすぐ音を出すこと、音程が安定していること、といった聴いている側にしてみればごく当たり前なことでも演奏する側としては猛烈に難しいことなのです。

白鳥は優雅に泳いでいるように見えても、じつは水面下で足をジタバタしているというのと同じようなものです。

この「当たり前」を当たり前のことのように仕上げるためにすべてのヴァイオリニストは日夜猛烈な練習に向き合っています。
世界的ヴァイオリニスト、チョン・キョンファの母は『世界がお前達の舞台だ』で「1日何時間弾けばいいというものではなく、ヴァイオリンというのは目が覚めている間、ずっと練習していなければいけないものなのだ」のようなことを述べています。

私も実感としてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾くことは、東大に入るよりもはるかに難しいと思います。100人の学習者がいたら、メンデルスゾーンまでたどり着く人って全体の5%にも満たない気が・・・。かくいう私もまだまだメンデルスゾーンどころかブルッフにも着手できてません!

だからこそ、少しでもうまくなろうとするのですが、努力を毎日積み重ねているという点自体がじつは「罠」なんじゃないかとも思うようになりました。

努力の罠

努力は素晴らしい。
努力なしに成功することはない。

なんとなくそう思い込みがちです。

でも本当でしょうか?

ダルビッシュ選手はこう述べています。
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」

うーん深い!

努力それ自体の価値は否定しません。でも、努力を続けていると、「続けていること」そのものに慣れてしまい、毎日努力しているつもりがじつはただ単にルーチンをこなしているだけ=マンネリに陥ってしまっているのではないでしょうか?

音階、エチュード、コンチェルトまたはソナタ。こういう順序で練習している人も多いとは思いますが、その順序や練習方法で1日何時間か取り組むことがいつの間にか「当たり前」になってしまい、毎日がそれ以上でもそれ以下でもなくなって、より高い壁にチャレンジしなくなっていたりしませんか?

あるいは、「成果が出ないのは今の努力が足りないからだ。もっと努力を増やせばイケるだろう」と思っていたり・・・。でも、うまく行かないときにもっと突っ込めば成果が出るはずだ式の考え方って、いかにも『ドラゴン桜』とかに出てきそうな成果が出ない受験生みたいですね。

成果が上がらないのであれば、「そもそもその努力自体が無意味の可能性があるから他の方法を考えよう」と考えるべきでしょう。ビジネスだと普通そうしますよね。無限に営業マンがいるわけじゃないですし、投入できるリソースには限界がありますから。

自分が何を苦手としていて、
その理由は何で、
どういう練習をすれば克服可能か

まずはここをあぶり出して、

一番効果があると判断されたポイントに重点的に取り組む

これをやらないと
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」
に陥ってしまうのでしょう・・・。

努力しているのになんで報われないんだ? と思っている人は、大和魂があれば米軍に勝てる式の発想と変わりませんね・・・。