バレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』第3巻ではヒロイン奏がコンクールに挑戦し、そのなかで元英国ロイヤル・バレエのアビゲイル・ニコルズの踊りに影響を受ける場面があります。
「模倣」はダンスに限らずあらゆる芸術を生み出す上で重要なものである模倣の積み重ねと研鑽が流派になり他派・他分野の芸術家にインスピレーションを与えその芸術自体を確信し、鑑賞する人々を魅了する
たしかにあらゆる芸術は、いや芸術に限らず産業も、ありとあらゆる人間の行為も、まずは模倣からスタートしているのが現実です。
松下電器も最初は欧米メーカーの製品を徹底的に研究してパクって商品開発を行っていたので、「マネシタ」と揶揄されていた時代もありました。
子供もまわりの大人たちが喋っている言葉を模倣することで言語を獲得してゆきます。
習い事においても、やはりまずはじめは先生の指示を忠実に再現できるということが基礎固めにおいて重要でしょう。
その基礎が完成し、技術が整って初めて「表現」の世界に足を踏み入れることができます。
そう考えると、アマチュアというのはやはり「表現」の世界に足を踏み入れるまえに一生を終えてしまうのもやむを得ないことなのでしょう。
しかし「表現」の世界といっても最初は冒頭に引用したように模倣からスタートし、少しずつ自分らしさが現れてくるようです。もし自分のなかに表現したい「メッセージ」があればの話ですが。
大学で文学を学ぶと出くわすであろうアリストテレスは『詩学』で、芸術(とくに詩作)と「模倣」の関係について自説を披瀝しています。
私達がなにかを「模倣」したり、そのプロセスを通じて物事を学習したり、他者の「模倣」を見て喜ぶことが人間らしさだと言っています。
その最たるものが、アリストテレスによると「悲劇」だとか。理由は「そういうことが私やあなたの生活のなかで本当に発生するかもしれない出来事」を表現することで普遍性を獲得しているからだそうです。実際の歴史だと「事実」しか扱えませんが、「そうなるかもしれない」ことを語っていることで表現の幅が増し、また世界中の人々にリアリティを感じてもらえるから・・・、と聞くとなるほどそうかもと思えてきますね。
優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む
一方でピカソは「優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む」という言葉を残しています。
これだけだと「やっぱり模倣じゃだめなんだ!」と思うかもしれませんが、その真意はすこし違っていたようです。
ピカソの言葉を言い換えると、「単なる表面的な真似である程度は成功できるだろう。しかし本当に偉大な芸術家になりたければ、先輩のやってきたことの極意を自分なりに咀嚼し、"自分が伝えたいこと"というプラスアルファを付け加えなければならない」になるでしょう。
となるとやはり自分のなかに表現したい「メッセージ」があるかないか・・・、そういう感受性をこれまでの人生経験のなかで培ってきたかどうかが重要でしょう。
ただ、バレエなり音楽なり、プロを目指して子供のころから一筋に打ち込んでいると普通の子供の暮らしから切り離された日常を送ることになりますから、そのために常識、道徳、知識教養、一般学科の学力、人間関係を育む能力などがどうしても犠牲になり、第三者の心を揺さぶる「メッセージ」を自分のなかに形成できるのか? ということが懸念されます。
芸術家への道はかくも険しい・・・。
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