陰キャ。陰気なキャラで陰キャ。
そういう性格だからなのか、陰キャでソ連好きな人というのは潜在的にいかにもいそうですね。

声優上坂すみれさんはロシア・ソ連に興味をもったことがきっかけでそのまま上智大学外国語学部ロシア語学科に入学、そして声優としてロシア知識を活かしながら見事にキャリアを切り開いています。
高校時代に旧ソ連時代の書記長演説や、旧ソ連国歌に影響を受けたことが元だそうですが、「好き」がすべての原動力になることの証でしょう。

もしかすると陰キャでソ連好きというのは上坂すみれさんに影響を受けた人が多いのかも?
で、大学の第二外国語でロシア語を履修して、「たんすがなーにゃ」とか頑張っているのでしょうか。

それはさておき陰キャな人・・・、まあ私も「友だちいない研究所」というブログを運営しているくらいですからその1人ですね・・・、にとってソ連というのはけっこう謎めいているというか、相性が良さそうなのです。

私なりにその要素を書き連ねてみると・・・。


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1.ロシア文学。暗い。

まあ一応チェーホフみたいな貴族的雰囲気をたたえた作品もありますが、大抵のロシア文学は暗いのです・・・。
でドストエフスキー『罪と罰』のことを書いたことがありますが、

『罪と罰』は・・・。
おそろしい夢をラスコーリニコフは見た。彼が夢に見たのは、まだ田舎の小さな町にいた子供の頃のことだった。彼は七つくらいの少年で、お祭りの日の夕暮れ近く、父と一緒に郊外を散歩していた。しめっぽい季節で、息がつまりそうな日で、そのあたりの風景は彼の記憶にのこっているのとそっくりそのままだった。彼の記憶の中でさえ、それはいま夢にあらわれたよりも、はるかにうすれていた。町はまるで掌の上にあるようにまわりがすっかり見通しで、しろやなぎ一本なかった。はるかに遠く、どこか地平線のあたりに、小さな森が黒ずんでいる。町外れの野菜畑からすこしはなれたところに、一軒の居酒屋があった。大きな居酒屋で、父といっしょに散歩しながらその前を通ると、彼はいつもひどくいやな気がして、おそろしくさえなるのだった。そこにはいつも大勢の人々がむらがっていて、わめきちらしたり、笑ったり、ののしったり、調子外れのしゃがれ声でうたったりしていて、喧嘩もしょっちゅうあった。居酒屋のまわりにはいつも酔っぱらいのおそろしい形相がうろうろしていた・・・そういう人たちに会うと、彼はしっかり父にしがみついて、がたがたふるえていたものだ。

(引用は新潮文庫・工藤精一郎訳より)

長いっつーの!!

この他にもソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』という作品があります。
これは収容所にとらわれて厳しい環境のなか、強制労働に耐える男の一日を描いています。
辛い日々が続いたとしても、現場作業、食事風景、点呼、就寝・・・、その中に喜びや幸せを見つける男の姿に、人間の尊厳を感じ取ることができる、素晴らしい作品です。

が、普通の日本人にしてみれば「なんでそんな作品を」というリアクションが返ってくるのは想像に難くありません。

どうにもこうにもロシア文学というとドストエフスキーのように設定が理不尽だったり、ソルジェニーツィンみたいに無理ゲー展開が続くようなものが多く、陰キャをぞくぞくさせるに十分ではないでしょうか。

2.ソ連の音楽が辛い

ショスタコーヴィチという作曲家はご存知でしょうか。
彼は天才作曲家としてデビューしつつも、オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』とバレエ『明るい小川』が、ソビエト共産党機関紙『プラウダ』で批判され、窮地に立たされることになります。

やむなく次回作『交響曲第5番 革命』において、ネオ・ベートーヴェンスタイルとでも言うべき「苦難から歓喜へ」といった体裁の構成を採用し、なんとか名誉を回復します。
ところがこれは「強制された喜びであり、そんなものに意味があるのか」とショスタコーヴィチが独白したという説もあり、ソ連政府に迎合した御用作曲家というイメージ、そして面従腹背で楽譜の中に体制批判を暗に表現した極限状況での創作を続けた作曲家だというイメージという2つの顔(評価)を持つことになります。

当時社会主義の国といえば中国や東ドイツ、その他にも東欧のポーランドやハンガリーなどが挙げられますがここまで追い詰められた状況のもとで表現活動を続け、歴史的評価に耐えうる作品を発表したのはショスタコーヴィチしかいません。時代と才能が組み合わされた時いかに素晴らしい成果を残すかの好例と言えるでしょう。




3.生活が辛い

崩壊直前のソ連のお話は誰もが知っていると思います。
食べ物がない、その僅かな食事をもとめて延々と続く行列・・・。
じつはソ連の音楽や音楽家にあこがれて留学を志した日本人もたくさんいます。
1990年にチャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン部門で日本人初の1位に輝いた諏訪内晶子さんもその1人。
過去にイタリアのパガニーニ・コンクール、ベルギーのエリザベート・コンクールではいずれも2位。1位はソ連の若手ヴァイオリニストでした。
なぜソ連勢はあそこまでハイレベルなのか? この国の音楽教育システムはどうなっているのか? そんな関心から、彼女はチャイコフスキー・コンクールに挑戦し、見事1位を獲得します。

ところが1位に至るまで1次、2次予選と38度の高熱が続き、過酷な戦いでした。
その背景には、やはり食べ物の違いやそもそもの食料の不足があったことが伺われます。
ホテルのレストランに行っても注文してから料理が出てくるまで延々と待たされる(ので一端部屋に戻って練習する)、出てきた料理は貧弱なものばかり・・・。高校生の彼女にもこの国が混乱しているのははっきりと分かり、のちに留学先をソ連ではなくアメリカに変更することになります。

でもこんなお話、平成や令和の日本では考えられないことで、ソ連という社会のあり方が相当歪んでいたことの象徴的エピソードと言えるでしょう。
もしあなたがこんなところに逆にロマンを感じてしまうようでしたら、まさに陰キャの素質たっぷり。
こういうのは「その人らしさ」そのものですからぜひその道を邁進すべきですね!!