ジュディス・S・ニューマンの手記『アウシュヴィッツの地獄に生きて』は、私が知る限りアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の凄惨を極めた囚人たちの生活を、ナチスへの憎しみと軽蔑を込めて最も克明に書き記した本です。

ヒトラー・ユーゲントの少年たちが女性収容者に小銃を向け、支配者のように振る舞っていたという描写など、いかに組織の命令というものが人をゆがめてしまうかの典型であり、この心理は戦後にミルグラム実験やスタンフォード監獄実験により検証されることになります。

スタンフォード監獄実験によって明らかになった人間の心理とは、ウィキペディアによると

権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。

非個人化
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。

というもの。強制収容所にいたヒトラー・ユーゲントの少年たちはまさにこれに当てはまります。

しかし1945年、ソ連軍がアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に迫ってくるとナチスはガス室を破壊し、証拠を隠滅したうえで逃走を図ります。

ニューマンたちもドイツ本土を目指してナチス親衛隊員に駆り立てられ、行進を続けますが落伍者はただちに殺害されていきます。

やがて機を捉えてニューマンは一隊からうまく逃亡することができ、そのままドイツ降伏の日を迎えます。
彼女は故郷ブレスラウを目指して旅を続け、途次ドレスデンを通過します。
この街は1945年2月13日~15日にかけて連合軍の激しい空襲をうけ、市街地の85%を焼失、2万5千人の市民が犠牲になったとされています。(ニューマンの手記によると死者13万5千人となっています。)
オペラハウス、ゼンパー・オーパーや聖母教会なども灰燼に帰し、再建まで数十年の月日を要することになります。

ニューマンがドレスデンにたどり着いたとき、まだ被害の爪痕は生なましく、まだ死体が瓦礫の下敷きになっていた、死体処理が追いつかず、市場が開かれていた広場に干し草用の三叉で山のように死体を積み上げて焼いてしまうしかなかったと回想しています。

この瓦礫の中心で、ニューマンは信じられないことを叫んだそうです。

人びとに同情する気持ちはありましたが、私は叫ばずにはいられませんでした。
「ハイル・ヒトラー!」
私は言いたかったのです。これこそが彼らが要求していた言葉であり、これ以外認めようとしなかったのも彼らだったのです。
もともとヒトラーも彼ひとりの力で独裁者になれたわけではありませんでした。
当時のドイツいやヨーロッパを渦巻いていた不景気への不満、そのはけ口を異民族へ向けようとする差別心、すべての問題を偉大なヒーローが解決してくれるはずだという都合のいい青写真・・・、こうした「民意」がヒトラーを総統の地位に押し上げ、世界を破滅に導いたのでした。

ニューマンは言いたかったことでしょう。これがお前たちの選択の成果物だ、この結果を招いたのはお前たちの責任であり、罪を償うのもお前たちの役目だと。
ニューマンは告発します。ドイツ人たち、すなわち一般市民たちの多くはホロコーストを確かに知っていて、それを支持していたことを。占領地のユダヤ人からの略奪経済によりドイツ人の生活はさほど不自由を感じることがなく、恩恵にあずかっていたことを。

ヒトラーの台頭をたどった書籍をひもとくと、じつは彼はドイツ国民からあまねく支持を獲得していたわけでではありませんでした。ところが積極的に支持しないまでも、ユダヤ人迫害に口を閉ざし、目を背けていたことがのちの悲劇を生みました。その意味では、アンネ・フランクハウスが主張する「あらゆる差別は萌芽のうちに摘み取られねばならない」という立場は正しいのです。

おかしいな、と思っていても未来がどうなるか検証できないから、異端者扱いされることを恐れて黙っていると、いつの間にか順応して自由に議論できない社会ができあがり「異常」が「日常」になってしまう・・・、というのが20世紀前半の失敗でした。

『アウシュヴィッツの地獄に生きて』を読み、自由や平等の尊さ、それをなんとしても守り抜き、次世代へ手渡さなければならないという思いを新たにしました。