ルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツ強制収容所の所長を務めた人物であり、戦後はその罪を問われて1947年ポーランド最高人民裁判所により絞首刑判決を受け、アウシュヴィッツにて処刑されました。

ところが彼自身は決して自分のことを極悪な人間だとみなしておらず、『アウシュヴィッツ収容所』という手記を次のような言葉で結んでいます。

世人は冷然として、私の中に血に飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。――けだし、大衆にとって、アウシュヴィッツ司令官は、そのようなものとしてしか想像しえないからである。そして彼らは決してリア気しないだろう。その男もまた、心をもつ一人の人間だったこと、彼もまた、悪人ではなかったことを。

この手記は、全文一一四頁(原文)からなる。このすべてを、私は、すすんで誰にも強いられもせず書いた。

一九四七年二月クラカウにて

ルドルフ・ヘス

この彼は、ホロコーストは誤りだったとも述べています。
また現在、私は、ユダヤ人虐殺は誤り、全くの誤りだったと考える。まさにこの大量虐殺によって、ドイツは、全世界の憎しみを招くことになった。それは、反ユダヤ主義に何の利益にもならぬどころか、逆に、ユダヤ人はそれで彼らの終極目標により近づくことになってしまった。

(中略)
強制収容所で、どうして、残虐行為がおこなわれるようになったかについては、私は、すでにくり返しのべてきた。私個人としてはそういう行為に決して同意ではなかった。私自身が、抑留者の一人でも、虐待したり殺したりしたことは一度もない。また、私は私の部下による虐待を見のがしたりは絶対にしなかった。
この言葉をどれほど信じてよいかは議論の余地があるでしょう。
任務に忠実な能吏であったヘスは自分がやっていることの正しさを信じて疑うことはありませんでした。
また、あくまでも残虐行為というのは私たちがイメージする残虐行為と、ヘスがイメージするする残虐行為は完全に一致しているとは限りません。そのうえ、彼が自分の減刑を願ってこのようなことを記述しておけば裁判で多少は有利になるのではという願いもあった可能性もあります。

この他にも、残虐行為をやめさせようと力を尽くしたが、すべてをカバーできたわけではないとも述べています。
しかしこれはアウシュヴィッツの生き残りの証言と相当矛盾があり、管理者であるヘスが見ていた世界と、ユダヤ人たち迫害の当事者が見ていた世界は、同じ「世界」でありながらまったく別の像を結んでいたのかもしれません。(まるで新海誠監督の『君の名は。』みたいです。)

戦局の悪化により強制収容所の撤収から別の強制収容所へユダヤ人たちを移送する場面でも彼は自分のベストを尽くしたと語っています。にもかかわらず、案の定過酷な環境ゆえユダヤ人たちは移送中に多数が命を失ってしまいました。

こうしたことについて、彼は収容所の規則を引用してこう述べています。「収容所長は、当該収容所の全部門にわたって、完全に責任を負う、と」。
これも罪を認めることで裁判で寛大な措置が得られるかもしれないという下心があったのかもしれませんが・・・。

このように、ヘスの手記を読むと当時の常識に則った「まともな人」であったという人物像が想像され、ナチスという狂ったシステムに社会が飲み込まれてしまうと、狂った状態が正常であり、個人レベルでも狂っていることが有能視されてしまうということが浮かび上がってきます。

歴史は繰り返すという言葉があります。
これは全く同じことが2度3度と繰り返されるという意味ではなく、パターンが繰り返されるということです。

さて次のナチスは、どのような形で現れるのでしょうか。
あるいは私たち人類が20世紀の失敗から十分に学び、次のナチスを萌芽のうちに摘み取ることができるのでしょうか・・・?