ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』第8章では、ここの所長に任命されて収容所の建設に奔走する自らの姿を回顧しています。

自らの職務にはげむ姿は能吏そのものと言って良いでしょう。
収容所はもともと別の目的のために使われていた建物群でしたが、ボロボロで「全く手入れもされず」という状態で、1万人を収容できる施設へ改築しなければなりませんでした。

さらには部下が「無能」で、どんなに良い意見でもいつの間にか隊員や指揮官がヒューマンエラーや伝言ゲームのせいで捻じ曲げられてしまうという結果になりがちだったと書き記しています。まあこれは逮捕されてから着手された手記なので責任転嫁なのかもしれませんね。

収容所の管理部隊長というのがまた名うての頓馬だったので、私は、彼に代って、部隊と抑留者の全生活資材に関する交渉を全部ひきうけねばならなかった。パンであれ、肉であれ、じゃがいものことまで、そうだったのだ。全く、一切合財を、私がやらねばならぬ始末だった。
普通管理職というのは現場で実務を担うことはないはずですが、このときのヘスはもうそれどころではなく自分にできることはすべて手当り次第片付けていった様子が伝わってきます。

そんなヘスも、たまには酒の力を借りたいこともあったようです。
私は、何とか気をとりなおすため、酒の力で、この突然の不機嫌を押しこめてしまおうとした。酒を飲めば、私も、またおしゃべりで陽気になり、それこそ有頂天の馬鹿騒ぎもやらかした。
それでも酔いつぶれたりすることはなく、翌朝の勤務が始まるときはまたさわやかな気持になっていたと独白しています。

yukirin


能吏ヘス

やがてヒムラーはアウシュヴィッツを抑留者たちを閉じ込めておく中核拠点とするよう指示を出します。
このためさらなる拡張工事をすることになり、ヘスを悩ませることになります。

その後大量虐殺のための設備を整えるべしとのヒムラーの命令が出されたとき、ヘスはその後の結末を想像すらしていなかったとも記しています。彼にはその命令は「正しいもの」であり、「命令をうけた」のだから「実行しなければならなかった」。ホロコーストが適切だったのかどうかは判断を許されておらず、ヒトラーの命令であるから遵守すべきであるという価値観がSSのなかでは共有されていたとも述懐しています。

たしかに自分が行っていることが正しいのかどうか・・・、いや悪いことだというためらいがあったならば、アウシュヴィッツの建設はもっと緩やかなスピードであったはず。
そういう疑いが生じる余地もないほどにヘスは命令に対して忠実であり、だからこそ能吏でいられたのだということになります。

「命令だから」「仕事だから」とどんなことでも疑うことなく忠実に実行してしまうのは、とくに日本人ならいつ陥ってもおかしくない過ちです。
ヘスとは、私たちのことである。そういう疑いの念を心の中にしのばせておくことは、けして不利益なことではないでしょう。