普段はどんなに立派なことを言っていても極限状態になるとガラッと人柄が変わる人っています。
その一方で、厳しい状況でも静かに自分を律することのできる人だっています。
以前のブログ記事で、アンネ・フランクを始めとするユダヤ人の家族を2年にわたって匿い続けたミープ・ヒースのことを書いたことがあります。
当時ナチス・ドイツの占領下に置かれていたオランダでは2万人ほどの人びとがナチスに密かに抵抗し、地下組織を張り巡らせてユダヤ人を助けようとしていました。
では、
ミープ・ヒースは戦後数十年にわたり、アンネ・フランクらをかくまったことについて一貫して口を閉ざしていました。自分は英雄ではない、あの時代は2万人以上のオランダ人が同じことをしていたのであって、『アンネの日記』の関係者として自分だけが特別扱いされることを希望しない・・・、ずっとそのような立場を守り続けていました。
このように、自分の信じたことを守り抜いた固い決意が感じられます。
戦後アンネ・フランクの義理の姉となったエヴァ・シュロスの著作『エヴァの震える朝』を読むと、ミープ・ヒースのようなオランダ人ばかりではなく、その立場も様々であったことが記されていました。

やっぱり勇気ある人ばかりじゃなかった、占領下のオランダ
そもそもなぜエヴァがアンネの義理の姉となったのか。
フランク家の近所に住んでいたエヴァの家族もやはり潜伏生活ののち強制収容所へ送られ、父エーリッヒと兄ハインツを失います。生き残った母フリッツィとエヴァはアムステルダムへ帰ってくることができ、フリッツィはやはりフランク一家の唯一の生還者である父オットーと戦後再婚することになったのです。
フランク一家の潜伏生活が露見したのは、密告によるものだとされています。
エヴァたちの場合はどうだったのかというと、やはりフランク一家と同じく潜伏生活を選択していました。フランク一家の場合はオットーが経営していた事務所の隠れ部屋を住まいとしており、このような会社の事務所にはナチスもそれほど執拗に立入検査を実施していなかったため比較的安全だったようです。
そうではないエヴァの場合はナチスを嫌悪するオランダ人たちの協力を得て一般家庭の空き部屋などに隠れ住むわけですが、一家4人は二手に別れて別々に潜伏していました。
このエヴァたちを助けてくれた普通のオランダ人というのが良くも悪くもやはり「普通」でした。
当初こそユダヤ人を助けたいという善意があったからこそ協力していたものの、だんだんナチスの捜索活動が厳重なものになり、ゲシュタポに脅迫されるようになるとさすがに「自分たちの安全のためにも、もはやユダヤ人を置いておけない」という気持ちになってきたようです。
「誠に申し訳ないんですけど、これ以上お二人を匿っていると、私の方が神経がおかしくなってしまいそうですの」。エヴァと母を助けていたある夫人はこう告げました。
べつの協力者たちも「あなたたち、外出なんて当分できっこないから、その毛皮の立派なコートは持っていても仕方ないわよね」という強請を始めたり・・・。
それでエヴァたちはかろうじて別の潜伏先をなんとか見つけたものの、そこで一家を保護するはずの「愛想よく親切」な夫婦というのが実はゲシュタポとグルでした。
すぐに一家4人は逮捕され、この夫婦はたっぷりと報奨金を受け取ったとか。
極限状況のなかで浮かび上がる「問い」
エヴァ・シュロスは自らの著作のなかでアンネ・フランクが語る「人間の本性は善である」という言葉に疑問を投げかけています。「アンネがそういえたのはアウシュヴィッツやベルゲン・ベルゼンを経験する前だったからと考えないではいられないのである」。
エヴァと母がソ連軍に保護され、オデッサからマルセイユ、パリそしてアムステルダムへ生還を果たすまでには様々な人々の善意がありました。その一方でなにがしかのお金を目当てにナチスに協力したり、最初は立派な志を持ちつつも状況が厳しくなってくるとユダヤ人を金づるとみなして強請をする人もいました。
ホロコーストから生き延びた人たちはその経験を誰かに伝えようとしても、人びとは戦時中のことを話すことも聞くことも避けたがり、エヴァのような人たちは戦後数十年にわたり口を閉ざしていました。いや、口を閉ざさざるを得ない「何か」がずっと心の中で渦巻いていたのでしょう。
きっとそうでしょう、だってご近所の人が、もしかすると戦時中は密告者だったかもしれませんし、そのご近所の人だって「まさかあいつ、あの時の恨みをいつか晴らしに来るんじゃないだろうな、でもあの時俺は仕方なかったんだ! こっちだってナチスに従わないと逮捕するぞと脅されていたんだ!」という言い訳や後悔とともに戦後を生きていたはずですから・・・。
ナチスという巨悪の影の下、極限状況のなかで様々な角度から「人間」とはなにか、私たちは何をすべきかという問いが投げかけられたとき、そこに浮かび上がってきたのは容易に答えを出すことを安直と断ぜざるをえない人間の心の光と闇でした。
何百万にものぼる犠牲者たちは、今なお書物や映像という記録を通じて、私たちにその問いを突きつけています。
コメント