バルセロナで100年以上も建設中のサグラダ・ファミリア。
いちおう2026年に完成予定ということになっていますが、果たして本当に完成するんでしょうか?

・・・と思いきや、案の定新型コロナウイルスの影響で予定通りの完成は不可能と判明しました。
【9月17日 AFP】スペイン・バルセロナ(Barcelona)で建設中のサグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)教会は、新型コロナウイルス流行の影響で、計画していた2026年の完成が実現することはないだろうと、同教会のエステーバ・カンプス(Esteve Camps)建設委員長が16日、明らかにした。

 1882年に建設が始められたサグラダ・ファミリアは、建築家アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)が亡くなってから100年目となる2026年に完成する計画だった。しかし今年3月、スペイン政府が新型ウイルスの感染拡大を食い止めるため全国規模のロックダウン(都市封鎖)を命じたことで、工事は中断。カンプス氏によると、工事は「数週間以内」にようやく再開されるという。

(https://www.afpbb.com/articles/-/3305080より)

しかもこの工事費用というのは寄付や観光客へのチケット販売などによって成り立っていたのですが、それすら不況のあおりで激減。いつかは完成するはずですが、「あと一歩」が遠のいてしまいました。

なんだかサグラダ・ファミリアって、ヴァイオリンの練習に似ているなあと勝手な連想を広げてしまいました。

『まるごとヴァイオリンの本』によると、ヴァイオリンは一つの動作ができるようになるまで3ヶ月っかかるということが書かれています。
そんなはずはないだろうと誰もが思うでしょうが、実際にやってみるとほんとにそれくらいかかるのです・・・。

子供の頃から東京藝術大学や桐朋学園大学など一流音楽大学への進学を念頭に英才教育を受けているなら話は別ですが(ただしその場合、普通の少年少女とは切り離された道を歩むことになります)、ヴァイオリン人口の大半を占めるであろう「そうではない人」の場合は、まずポジションチェンジでくじけ、ヴィブラートでくじけ、セブシックでくじけ、クロイツェルでくじけ、協奏曲でくじけ、ソナタでくじけ、果てしなく続く苦行の連続に大抵の人がどこかのタイミングで「だめだこりゃ」。

たとえ諦めないで続けたとしても、子供の頃から徹底的に叩き込まれた技術ではないので客観的に言って「危なっかしい」出来栄えにしかならないでしょう。

そう、アマチュアのヴァイオリン演奏というのは100年経っても完成しないサグラダ・ファミリアにも似て、自分の人生を終えるまで練習しても「これでOK」という満足感を得ることがない、第三者が見て「なんだあのマゾは」と思ってしまうような無謀な行為なのです。

私自身もあるときモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番』を弾いていてそういう実感に到達し、「俺って一体」という気分になり、さらには「人間失格」「或阿呆の一生」「斜陽」なんていう言葉すら連想してしまいました・・・。

私はそこでヴァイオリンをやめたかというと実はそうではなく、「まあ続けられるところまで言ってみるか」という気分になりました。山登りは登って降りるだけですが、それでもやってみたら達成感がありますし、フルマラソンも完走した人にしか分からない「勝利の実感」というものがあるはずです。

哲学者カミュは「人間が唯一偉大であるのは、自分を越えるものと闘うからである」という名言を残しました。自分には決して克服できない、手を伸ばすことすらかなわない「音楽」という芸術。アマチュアの私はメンデルスゾーンやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を人前で演奏する機会は一生ないでしょうし、ましてや完全な赤の他人に私の演奏が感動を与えることはないでしょう。

きっと他のアマチュアのヴァイオリニストたちもそのことを知りながら、「自分を越えるもの」と格闘しているのでしょうね。であれば自分もそのなかの1人になって、かっこ悪くても挑戦しつづける人たちとエールを送り合いたい・・・。
不思議なもので、「何かを続ける」ということはそういう気持ちを持つようになることでもあります。
コスパの悪い修行ではありますが、「続ける」という行為それ自体は何らかのメリットをその人にもたらすようですね。