アンネ・フランクが残し、強制収容所からのフランク一家の唯一の生還者である父オットーによって戦後に伝えられた『アンネの日記』はつとに有名です。

アンネはこの他にもいくつかの童話とエッセイを書いていました。
そのなかの「ヨーケー」は、彼女の日記との対応関係が見られ、「書く」ということを通じて自分の内面を掘り下げていったことがフィクション作品からも伝わっており、「生」への希望が盛り込まれた素晴らしい作品となっています。

「ヨーケー」は文庫本で2ページにも満たないお話です。
ヨーケーというのはおそらくは少女でしょうか。友人と思われるパウルにも見放されてひどく落ち込んでいます。

そのヨーケーが窓から外を見ると、木立が風に揺れる様子や星が雲に隠される情景の美しさに気づき、深い感動を覚えるのでした。
ヨーケーはとつぜん、絶望が去ったのを感じます。自分はかしこくて有能なのです。心に感じるこの幸福うはだれも奪えません。「そうよ、だれにもできっこない」とヨーケーは思わずつぶやきます。「パウルにだって」

一時間、窓に立ちつくしてヨーケーは元気をとりもどします。まだ悲しいけれど絶望はしていません。自然を深くしっかりと見る人は、同じようにして自分を見つめます。そしてヨーケーのように絶望からみごとに立ちなおります。
この、窓の外に広がる自然を見ることで心の平安を取り戻すというのは『アンネの日記』にも見られる記述です。

ある時アンネは初恋の人ペーターとともに、屋根裏部屋の窓からわずかに見える町並みと青空を眺め、ひとつの思いを胸にします。
わたしは、ときどきひらいた窓から外の景色をながめていましたが、そこからは、アムステルダム市街の大半が一目で見わたせます。はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりに淡いブルーなので、ほとんど空と見わけがつかないほどです。

それを見ながら、わたしは考えました。「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは――この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。
この日記は1944年に入ってからのある日の記録です。
アンネの精神世界は1944年になって一気に深まりを見せますが、目覚ましい成長のスピードは「書く」ということによって促されたと見て間違いないでしょう。

潜伏生活を続ける彼女は、外の世界へ出ることは「死」とイコールでしたから、もはや自分の心のなかを言葉という道具を使って掘り下げていくしかなかったのかもしれません。

「自然を深くしっかりと見る人は、同じようにして自分を見つめます」という一文からは、彼女が下ろされたカーテンのわずかな隙間からアムステルダムの街並を覗いていたことに対応していることは想像に難くないでしょう。窓の外、隠れ家のそばに生えていたマロニエの木。その枝が風に揺らぎ、白い雲がアムステルダムを越えてはるか彼方へ向かうのを見る時、彼女が見ていたのはただの木や雲ではなく、自然を通じて自分の心のなかを見つめていたのでしょう。

21世紀に生きる私たちはユダヤ人迫害のような悲劇とは無縁の生活を送ることができています。
しかしいったいどれくらいの人が、彼女ほどの真摯さをもって自分と対話ができているでしょうか。自分を掘り下げることを続けられているでしょうか。平和によってかえって「生」を願う気持ちが衰えていないとどうして言えるでしょうか。

2年にわたる潜伏生活を続けたアンネ・フランク。彼女が書いた言葉たちは、私たちに様々な問いを残しているように思えてなりません。