ぼっち@3_bocchi
なんで自分も今まで『アンネの日記』を読んでなかったんだろう。
2021/03/17 22:28:46
死を逃れるための潜伏生活とは裏腹に、みずみずしいまでの心の遍歴がつづられている。
心の嵐を乗り越えて家族や周囲の環境との向き合い方を整え、子供から大人への河を渡ろうとし… https://t.co/tTnEUkl0TQ
『アンネの日記』を読みすすめるうちに、なぜ今までこの本の存在を知りつつも読むことがなかったのか、深く後悔しています。2年に及んだ潜伏生活のなかで、アンネは自分の内面を耕し、少女から大人へ脱皮を遂げようとしていました。
両親との葛藤、初恋の人ペーターへの思い、彼との距離感、性への関心・・・。こういう心の嵐は1944年になって唐突に彼女を揺さぶります。600ページにも及ぶ日記のなかで、1944年1月から8月までが300ページを占めています。つまりそれだけ色々日記帳にぶつけたい思いがあったということですね。
『アンネの日記』を読み終えたいま、これほどの深いメッセージ性が秘められた本に出会うのは一生に何度のことだろうかという感慨にとらわれています。
ぜひこの本のことは次世代へ語り伝えなくては・・・。
1944年に深まるアンネの精神世界
これまでの『アンネの日記』をめぐる私のブログ記事に書きましたように、1944年になると名言と言える文章が数多く綴られています。
家族を始めとする潜伏生活の同居人の姿を、短所も長所も観察しながら、たとえばアンネは毎日を家事に追われて過ごすだけになりたくないと思い、1944年4月5日にこう書き記します。
わたしはぜひともなにかを得たい。夫や子供たちのほかに、この一身をささげても悔いないようななにかを。(中略)わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!
この頃にはアンネはジャーナリストか作家になりたいという明確な将来像を考え始めています。
まだ14歳でした。いえ、はっきりとした目標を見据えた人にとっては「もう14歳」であったのかもしれません。別の日にもやはり戦争が終わったら『隠れ家』という題名の本を書きたいという願望を書いています。
そこから1週間もしない4月11日には隠れ家と壁を接する父親の事務所に泥棒が侵入し、まさか秘密警察ではないかと、アンネは死を覚悟します。
このような絶体絶命の恐怖との隣り合わせの青春のなかでも彼女の精神は成長を遂げていました。
わたしはますます両親から離れて、一個の独立した人間になろうとしています。まだ未熟ですけど、おかあさんよりも勇気をもって人生に立ちむかっています。わたしの正義感は不動ですし、おかあさんのそれよりも純粋です。(中略)わたしがわたしとして生きることを許してほしい。そうすれば満足して生きられます。私には自分がひとりの女性だとわかっています。しんの強さと、あふれるほどの勇気とを持った、一個のおとなの女性だと。
1944年4月には初めてのキスを交わしたペーターとの関係も1ヶ月経過して冷静に見つめることができるようになっていました。たったの1ヶ月でこんなに考えを整理することができるのはいったいどうしてでしょうか。それだけ毎日がこころの果てしない旅路だったということでしょうか。
わたしもさんざん苦しみましたけど、ようやくいまでは、いくらか自分の気持ちをコントロールできるまでになりました。そうかといって、彼への熱がさめたとは思わないでください。いまでもだいじなひとであることには変わりありません。それでもわたしはすでに、内なる心の扉を彼にたいしてとざしてしまいました。それをもう一度こじあけたければ、彼は以前よりもはるかに大きな努力を必要とするでしょう。
ペーターにしてみれば、あれほど深く心を重ね合ったのにどうして? と理解も納得もできなかったのではないでしょうか。女性の本能として、ほんとうにこの男性でよいのかとブレーキを踏んでしまったということでしょうか。自分自身も男ですので女性の心理を説明せよと言われても不可能です。ただ言えるのは、アンネが自分を客観的に見つめるための対話の道具として日記を使いこなし、「書く」という行為をつうじて自分の心を耕していったことは間違いないでしょう。
秘密警察に捕らえられるまであと1ヶ月となった1944年7月6日には、
自分の足で立つことは、もともとむずかしいことではありますけど、それよりももっとむずかしいのは、確固たる人格と精神とをもって自立しながら、つねに自分自身に忠実でありつづけることです。(中略)もしも幸福をかちとろうとするなら、勤勉に働き、正しい行いをし、怠けたり、ギャンブルにふけったりすることがあってはなりません。怠惰は一見魅力的に見えますが、ほんとに満足を与えてくれるのは、働くことなのです。
と日記に記しています。1942年~1943年まではこうした記述はほとんど見られず、1944年になって一気に彼女が少女から大人へ階段を一段飛ばしともいえるスピードで駆け上がろうとしていた様子が手に取るように分かるではありませんか。
かつては家族や同居人の悪口、不満を書き連ねていたアンネの姿はもはやどこにもありません。
周囲の人間関係と折り合いをつけ、社会との関わりも考えながらそれでもなお自分のゆずれない部分は手放そうとしない強い女性が感じられます。
8月1日には、自分の理想とする姿にどうすれば近づけるのかについて自分の心のなかで対話を交わしています。
そしてなおも模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです、もしも・・・この世に生きているのがわたしひとりであったならば。
アンネの日記はここで終わっています。8月4日に秘密警察に捕縛され、潜伏生活を送っていた8人はドイツ国内・占領地域に散らばる強制収容所へ移送。アンネと姉マルゴーはベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、1945年2月末~3月にまずマルゴーが亡くなり、さらに数日後にはアンネも姉の後を追って亡くなりました。唯一生きのびた父オットーは潜伏生活の支援者からアンネの日記を手渡され、平和へのメッセージを後世に残そうと決意しました。
作品の価値とはメッセージの強さである
『アンネの日記』を読み、その生への希望、日常生活への強い憧れ、異性へのまなざし、自分を確立しようともがき戦う葛藤、そのすべてに強いメッセージ性を感じ、まぎれもなく世代を越えて読みつがれるべき書物であることを強く実感しました。
たしかに素人の文章であり、公表を想定しつつもやや説明不足とも思われる個所もあります。
しかし"作品"の真の価値とは表現技術の問題ではなく、そこに伝えたいメッセージがどれくらいの強度で盛り込まれているかどうかではないでしょうか。
たとえばなぜベートーヴェンの『交響曲第9番』が作品発表から200年ほど経過した今なお「人類の解放と連帯の歌」として世界各地で歌い継がれているのでしょうか。なぜベートーヴェンと同時代を生きたロッシーニのオペラは大流行ののち、ほとんど歴史の波間に姿を消していったのでしょうか。理由を解き明かすために「メッセージ」という言葉を補助線として持ってくれば、疑問は氷解するでしょう。
『アンネの日記』が世界中の人びとに読みつがれ、繰り返し論じられ、一少女が学術研究の対象ともなるのは、まさにこの日記においてナチスという世界史上空前にしておそらく絶後の否定しがたい悪を背景としつつ、だからこその鮮烈な「生」への希求=メッセージが私たちの心を打つからです。
もしアンネが戦後まで生きることができたら、どういう言葉で世界を切り取り、記録したのでしょうか。改めて平和の価値というものを考えさせられた読書体験でした。


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