団塊の世代とは「日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。焼け跡世代の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年〜1949年に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことであり、大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる」(ウィキペディアより)。

この世代はとても人口が多く、彼らが幼稚園や小学生になると学校や教員が足りず、大学に入ろうにも数が限られていたので猛烈な受験戦争になり、やがて働くようになると社会に膨大な労働力を提供し、また大きなマーケットでもあったので高度経済成長の牽引役を果たしました。

しかし彼らが社会から引退する時代になると逆に社会保障制度を圧迫。これが財政赤字の原因になっているのは明らかです。

「団塊の世代」という言葉を広めたのは堺屋太一さん。
私が「戦後生まれの巨大な人口の塊」に注目するようになったのは、42年に通商産業省(現経済産業省)の官僚として、日本万国博覧会準備室で日本政府の大阪万博出展を各省庁と協議していたときです。厚生省(現厚生労働省)の技官、吉田寿三郎氏が「敗戦直後の出生数が極端に多く、これが将来の社会の重しになる」と力説され、人口問題の分厚い資料を届けてくれました。

(https://www.sankei.com/life/news/161205/lif1612050008-n1.htmlより)

「将来の社会の重し」はまさに平成~令和の日本で発生している出来事=医療や年金が持続不可能な状況に陥ることを言っています。

その団塊の世代ですが、東京オリンピックに郷愁を抱いたり、高度経済成長の夢をまだ捨てきれていなかったりと、そこから下の世代といまいち価値観が噛み合わないことがあります。

違う時代に生まれたのだから当然ではあります。

しかし同じ国の人なんだからもっと重なるところがあってもいいんじゃないかと思っていました。ところが私はある日、「こりゃ価値観が合わなくて当然だ」ということを発見してしまいました。


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ふたつの日本。発展途上国と、先進国と

日本といっても、世界銀行から貸出を受けて新幹線や発電所を整備したり、戦勝国から第二次世界大戦の賠償請求権を放棄してもらったりする「発展途上国としての日本」とサミットに参加するようになったり、東南アジアやアフリカに開発援助を行ったりする「先進国としての日本」のように時代によって二つの顔があります。

どうやら団塊の世代が感じる日本というのは前者のようなのです。

池田信夫さんの著作『丸山眞男と戦後日本の国体』という本には、日米安全保障条約の改訂にあたって丸山眞男ら当時の知識人たちがどう振る舞ったか、また学生運動がいかに盛り上がったかが第5章に説明されています。

自民党の安保条約改訂の単独採決(実態は野党が審議に応じなかっただけ)に反対した大学生たちは国会にも乱入、デモ隊にいたある東大生が圧死するという事件も起こりました。安保反対運動は全国的な盛り上がりを見せたものの、条約はすでに議会で承認されていたので自然成立。その後行われた総選挙でも自民党は296議席を占める圧勝。国民の大多数は新安保条約を支持していました。学生たちの運動は実りをもたらすことはなかったのです。

この本によると、
皮肉な見方をすれば、学生運動が民衆を指導するのは発展途上国に共通の現象であり、安保闘争はその最後だった。日本が先進国になると、学生は知識人の代名詞ではなくなり、彼らの主張に民衆が従うこともなくなる。「七〇年安保」と呼ばれた学園紛争の政治的影響はほとんどなく、それを最後に途上国型の反政府運動は日本から消えたのである。
言い換えるなら、高等教育がそれほど普及していない発展途上国では大学生がインテリであり社会のリーダーとなる可能性があるものの、大学が増えれば増えるほどその権威は衰えてゆくということにもなります。

私がピンときたのは「発展途上国に共通の現象であり」という部分です。
そうか、当時の日本って発展途上国だったんだ!

GNPでは西ドイツに拮抗していても社会の姿かたちはまだ発展途上国型であり、団塊の世代が青春時代を過ごした日本はまだいろいろなものが未成熟だった頃。そのころに形成された価値観というのは、日本が先進国としての地位を確立した時代に生まれた人とはまるで違っていて当然です。

ああ、だから団塊の世代とは話がいろいろ噛み合わないんだ・・・。私は納得してしまいました。


50年後。

「ポスト冷戦時代の世代ってなんかいろいろネガティブで暗いよね」と令和生まれの世代から私もdisられているのでしょうね。まあそれも運命でしょうし、人びとの価値観というのはそうやってアップデートされていくんでしょう・・・。