吉田松陰は次のような漢詩を残しています。
これはNHKの番組『その時歴史が動いた』でも紹介されていたのでご存知の方もいらっしゃるでしょう。


立志尚特異
俗流與議難
不思身後業
且偸目前安
百年一瞬耳
君子勿素餐

現代語にするとこういう意味になります。

志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ

これは吉田松陰がこの世を去る1年前に弟子に伝えた言葉です。

私はセネカの『生の短さについて』という本を愛読しており、上記の引用のうち太字にした部分がセネカの言葉ともリンクしています。

私は社会人になりたてのころ、セネカの『人生の短さについて』という本を読み非常に衝撃を受けました。これは知人に宛てた書簡という形式で書かれており、まず知人に対してこう諭します。

(私たちは、自分の)人生が短いのではなく、実はその多くを浪費しているのである。
人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられているのだ。

王者のごとき財産でも悪い持ち主が所有したときはまたたく間に消滅してしまう。
しかし並の財産でも管理者が賢明であれば、使い方によって増加する。
同じように、我々の一生も上手に配分する人には著しく広がるものだ。
坂本龍馬や高杉晋作といった歴史上の人物は若くして命を落としていますが、その短い一生のうちに日本の未来を切り拓く業績を残し、今なお繰り返し映画や小説で語り継がれる英雄となりました。
彼らの生き方というのはまさにセネカが理想とする時間=命の使い方そのものですし、吉田松陰の言葉とも相通ずるものがあります。吉田松陰はセネカを読んでいるはずもありませんが、やはり洋の東西を問わず、賢者は同じ観照に到達したようです。

ウィキペディアによると、
ルキウス・アンナエウス・セネカは、ユリウス・クラウディウス朝時代のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。 父親の大セネカと区別するため小セネカとも呼ばれる。第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた。
彼が生まれたのは紀元前1年。つまりイエス・キリストとほぼ同じ時期の人物。ということは『人生の短さについて』は2000年間読みつがれてきた永遠のロングセラーであり、つまり時間の使い方=生き方というのは誰にとっても大切な問題だったということになりますね。

スティーブ・ジョブズも有名なスタンフォード大学のスピーチでこう述べています。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

(中略)

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。

この言葉もセネカのこだまだと言えます。セネカはこう知人に訴えます。この知人というのは、どうやら穀物の倉庫を管理する仕事をしているらしいのですが、
自分自身の人生の利益を知るほうが、公共の穀物の利益を知るよりも、もっと有益なことである。

(中略)

君が若年のころから、学問研究のあらゆる修行で勉強してきたことは、巨大な量の穀物が君の良好な管理に委ねられるためではなかったのだ。君は何かもっと偉大で、もっと崇高なものを自分に約束したはずである。

(中略)

誰彼を問わず、およそ多忙の人の状態は惨めであるが、なかんずく最も惨めな者といえば、自分自身の幼児でもないことに苦労したり、他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり、何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである。彼らが自分自身の人生のいかに短いかを知ろうと思うならば、自分だけの生活がいかに小さな部分でしかないかを考えさせるがよい。

このあとももう少しセネカの呼びかけは続きます。要するに「倉庫番の仕事は他の人にもできる。君はもっと自分にとって大事な仕事に取り組むべきだ。なぜならそっちの仕事の方を君は愛しているのだから。自分が自由に使える時間は限られているぞ」ということがいいたいわけですね。
倉庫番を続けることとは、ジョブズの言う「本意でない人生を生きて時間を無駄」にしてしまうことです。

これはホリエモンも言っていますよね。「他人の時間を生きるな」、「時間=命」。
きっとホリエモンと絶対に話が合わないであろう、ノートルダム清心女子大学(岡山県にある女子大学)の学長、理事長を務めれたシスター、渡辺和子さんも『置かれた場所で咲きなさい』で、学生たちに「時間の使い方は、そのままいのちの使い方なのです」と、吉田松陰やセネカ、ジョブズやホリエモンとも通ずることを伝えていました。

セネカの『人生の短さについて』は、次の動画でコミカルにエッセンスが紹介されています。
ところどころ、「あれセネカってこういう言い方だったっけ?」という個所もありますが、現代人にわかりやすい表現になっているのでスッと頭に入ってくるはずです。


それにしても吉田松陰は
「百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ」
だなんて、言うは易く行うは難しの典型を弟子に伝えるなんて、優しいようですごく厳しいな・・・。