ヴィヴァルディといえばバロック音楽の巨匠であり、『四季』を始めとする様々な協奏曲を作曲したことで知られています。18世紀のベネツィアにあって司祭としても、また教育者としても活躍しました。

彼がいなかったとしたら、音楽の発展はずっと遅れたものになっていたに違いないでしょう。

・・・というのは建前で。

「ヴィヴァルディの曲ってどれも同じに聴こえる」

そういう感想を持つ人もいるはずです。
例えば安いからといってタワーレコードでボックスセットを買って何枚も何枚も再生していると、どうしても感じることがあります。






飽きた






こう思うのは私だけではないでしょう。

有名な音楽学者であり、バロック音楽の研究の大家である皆川達夫さんも著作『バロック音楽』のなかでこう書き記しています。
わたくしは、ヴィヴァルディの音楽をあまり好まない。なるほど彼の職人芸のみごとさには感心するし、バッハが彼の音楽を一生懸命にとりいれようと努力したのもわたくしなりに理解できるのだが、わたくしがいまだかつてヴィヴァルディの音楽に感動したこともないのもまた事実である。

ダラ・ビッコラだったか、ヴィヴァルディの作品は六〇〇の変奏曲にすぎないという酷評を下した現代作曲家がある。しかし、これはやはりいいすぎであって、ヴィヴァルディの作品はひとつひとつ詳細に吟味してゆけば、それぞれに工夫はあり、特性もあるのであって、いちがいに同一の変奏曲とおとしめることもできないが、それにしても彼の音楽は仰々しく、わたくしの心の外でなりひびくだけで、空しく終わっていってしまう。

(『バロック音楽』より)
この文章に続けて、ヴィヴァルディの音楽は品がない、底抜けに歌いさわぐだけであり、ヴィヴァルディの作品を10曲聴くならコレルリやアルビノーニの1曲をじっくりと聴きたいとも述べています。

もちろんご自身がヴィヴァルディと相性が悪いことを認めたうえでのお話ですが、皆川達夫さんほどの大家にして、これでした。


vivaldi

人は全ての音楽を知ることはできない。諦めが肝心

人間の一生を80年と見積もって、そのうち音楽鑑賞に費やせる時間はどれくらいでしょうか。
10歳から80歳まで1日1時間とすると、25,550時間。

1枚のCDを1時間収録と見積もり、それぞれ30回は聴き返すと仮定すると25,550÷30≒852。
852枚ということは、タワーレコード渋谷店の店頭在庫の数十分の1・・・。

逆に1枚のCDを30回再生しないとすると、その演奏のすみずみまで熟知したとはいい難いでしょうから、使い捨て的な買い物だったともみなせます。

しかし852枚でバッハから武満まで、室内楽からオペラまで網羅することはできませんし、ベートーヴェンの『運命』をフルトヴェングラーなりカラヤンなりラトルなりクルレンツィスなりと聴き比べていたりするとそれだけでかなりの時間を費やす羽目になります。おかげで『運命』には詳しくなれても、バッハのカンタータはノーマークだったり・・・。

こう見ると、クラシック音楽を聴くといっても例えば大型アイドルグループの全員を応援するのは不可能で推しメンを作らざるを得ないのと同じく、自分なりの推しメンたとえばバッハなりプッチーニなりを決めていく=それ以外は諦めるという選択をしなければ、広く薄く知っているようで実はなにも深く知ってはいないという状況に陥ってしまうおそれがあります。

私ならヴァイオリンを弾くので、無伴奏ヴァイオリン曲やヴァイオリン協奏曲を重点的に聞いてあとは室内楽を充実させる、オペラや鍵盤曲は有名どころを一応押さえておくくらいに留めるとか・・・。
ヴィヴァルディがどれも同じだと思えてしまうなら、ヴィヴァルディは『四季』程度にとどめてバロックでもヘンデルやバッハを掘り下げてみるとか・・・。

人間の一生というのは長いようで「可処分時間」というのは案外短いものです。推しメン以外は「諦める」のも音楽を楽しむうえで必要な積極的行為だと言えるでしょう。