楽器を演奏する人なら、誰でも「家で練習してるときならうまく行ってたはずなのに、控室でなぜかどういう曲だったか思い出せなくなり、本番では真っ白になった」ということを経験するはず。

エレキギターをやっていたときの私もポルノグラフィティの「アポロ」を演奏するはずが、ステージに上がった瞬間、どんな曲だったのか忘れてしまうという悲劇(喜劇)に襲われたことがあります。

このときは練習のおかげで、頭から音楽が抜け落ちても体が覚えていたので、どんどん演奏していくことができました。ところが、ソロの部分がどうしても思い出せません・・・。

「ああ、このフレーズが終わったときが僕の破滅の時・・・。時間よ止まれ・・・。」
そう思っても無情に曲は進み、ソロに差し掛かります!






















弾けてる!!







なんと、ややこしいソロの部分も勝手に手が動いて無事に乗り切りました。
お客さんからは大きな拍手。

客席からの様子だと、「スゲー緊張してるんだなというのがわかった」。一体どういう表情だったのか・・・。
当時の写真を見返すと、ソロが始まるまで本当に表情が能面で、ソロを抜けると謎の自信に満ちあふれている顔つきになっています。

「あがる」というのは本当に恐ろしいもので、音楽だけではなくて試験とか、結婚式のスピーチとか、いろんな場面で本来の力を出し切ることができなくなってしまう「魔物」。

プロピアニスト・中村紘子さんも、
この「あがる」という現象はまことに厄介なしろもので、万全の構えをしたつもりでもいつなんどきどういうかたちで突然自分を襲ってくるか予測のつかないような、いわばヌエのごとき存在である。しかも、そのヌエに不意討ちをくらったときに有効な対策のノウハウも、実は確立されていない。
(『アルゼンチンまでもぐりたい』より)


と語っています。


本番前に人と話してもミスるのはなぜ?

中村紘子さんはこのエッセイのなかで、ポーランドでのコンサートでプロコフィエフの『ピアノ協奏曲第二番』を演奏しようとしてつっかえたことを披露しています。

楽屋で出番を待っていると、何の前触れもなくポーランドの友人が飛び込んできました。
「この曲、大変ね。実は私もこの間これを弾いたんだけど、二楽章の途中のあの〇〇という個所でつっかえちゃった。あなたも頑張って、じゃあね」
そう言うなり彼女はあわただしく客席へと消えていき、それから数分後、私の演奏は始まった。そして私は、さっき彼女が行った二楽章の〇〇という個所で、まるで魔法にかかったかのようにつっかえてしまったのである。
以来四半世紀、私は開演前には絶対に人に会わないことに、心を固く決めている。

お笑いの世界では「押すな」は「押せ」の意味です。
音楽の世界では「ミスるな」は「ミスれ」になってしまうのかも・・・。

さて、この記事を読んでいる方は、ピンクのゴリラを想像しないでください。












と書くと逆にピンクのゴリラが思い浮かんでしまいますよね。

これは意志の力とイメージが対決すると、必ずイメージが勝利するという、フランスの心理学者エミール・クーエが提唱する理論です。

「失敗すまい」と願っても、無意識のうちに「失敗」をイメージしているので、結局失敗してしまうというもので、だからこそ成功を常に思い浮かべることが大切なようです。

中村紘子さんもなぜプロコフィエフでつっかえたのか。この理論を当てはめるとなんとなく理由は分かるはず。プロピアニストといえども、自分のイメージには敗北を喫してしまうようです・・・。