クラシックのコンサートに行くと、居眠している人をよく見かけますね。
たいていは第2楽章のアダージョとかアンダンテのあたりでコクリコクリと・・・。

ハイドンはそういうお客さんたちを驚かそうとして交響曲『驚愕』を作ったのは有名なエピソードです。

まさか総理大臣とか天皇とか、そういう身分の高い人は人目もありますから、さすがにコンサートのような場所では居眠りするはずはないだろう・・・、と思っていたらそうではありませんでした。

ピアニスト、中村紘子さんの『アルゼンチンまでもぐりたい』というエッセイでは、ベルギーを訪問した昭和天皇が現地で招待されたコンサートで居眠りを始めた様子を紹介していました。

もともとソ連のチャイコフスキー・コンクール、ポーランドのショパン・コンクールと並んでベルギーのエリザベート王妃コンクールは世界的な権威を誇るもの。
昭和天皇訪問当時、ベルギー国王は日本人入賞者も加えたコンサートで日本からの賓客をもてなそうと考えたようです。

ところが開演間もなく、どうやら天皇陛下は「ウトウト、コックリ」を始められたご様子であった。無理もない。ご高齢に加えて長旅や時差による疲労、異国での連日にわたる公式行事の数々と、これはお疲れが出ない方が不自然であろう。しかも、皇后陛下の方はお若い頃から歌を唱われたりピアノやヴァイオリンに堪能でいらしたと聞くが、そもそも天皇陛下はなにしろ神道の大元締めでいらっしゃることもあってか、西洋クラシック音楽という(キリスト教などの影響の濃い)ものには昔からあまり関心を示されなかった、とも聞く。
このときはそばにいた入江侍従長が「ご説明」といった様子で昭和天皇の耳元で何かをささやき、注意をうながしたようです。

一方で、隣のベルギー王妃はコンサートが始まるとハンドバッグのなかをゴソゴソと探りはじめ、ハンカチや口紅などの中身をバルコニーの手すりに並べ始めて、また片付けるという謎の挙動を始めたとか・・・。


oyasumikoala



コンサートあるある、「眠くなる」

コンサートで眠くなるのは本当にあるあるで、私の場合は休日の午後から始まるコンサートの場合にこの現象に出くわします。家を出る前に15分くらい昼寝をして、コンサートホールの座席に着席したときは眠気は何一つないのに、なぜか音楽が流れ始めた瞬間に安堵感が胸の中に拡がり、睡魔が襲ってくるのです・・・。

なにも演奏が退屈というのではありません。
向こうはプロ。お金を払うに値する演奏に決まっています。
とくにその道何十年というベテランの演奏ならなおさらです。経験に裏打ちされた音楽は自信に満ちあふれたゆるぎないスケールを誇るはず。

ならば眠くなるはずはないのに、どうして・・・?

その一方で、つい最近コンクールで1位をとったばかりの駆け出しの若手の演奏にものすごく感銘を受けて、眠くなる暇が1秒もないときだってあります。

原因はどうやら、自分が演奏に期待するものと、実際に鳴っている音楽の距離感にあるようです。

個人的な経験から言うと、ある演奏家についてある程度イメージを持っていて、だいたい予想どおりの演奏が行われているとどうしても眠くなるようです。
下手というわけではないのですが、自分の心のなかにあるイメージを塗り替えるほどのものではない、「たしかにハイレベルな技術を披露しているが、この人の実力から言ってまあこんなものかな」というときは睡魔が襲ってきます。

しかしどういう演奏家なのかよくわからないときや、「この若手ピアニストってこれからどういう風に成長していくんだろう」というようなドキドキ感があるときは、バッチリ覚醒したまま終演まで突き進んでしまいます。

このように眠くなる・ならない問題は中村紘子さんが前述のエッセイで指摘しているとおり、大家の演奏でコンサートホールが沸きかえっているときに一人居眠りをすることもあれば、無名で未熟な演奏家の音楽に感銘をうけたりすることもあります。あくまでも聴きて=私達の感受性によって左右されるものなので、客観的にどういうときに退屈したり、眠くなったりという判断を下すのは至難の業となります。

輪をかけて厄介なのは、そもそも世の中の大半のコンサートは「たしかにハイレベルな技術を披露しているが、この人の実力から言ってまあこんなものかな」という水準で、「こんなの10年に1度しか立ち会えないんじゃないか?」と思うようなチャンスは本当に滅多にないということです。

つまり大抵のコンサートで眠くなってしまい、「何千円も払う価値ってあったのかな?」と帰り道に疑問を抱く確率の方が高いわけです。
そしてそうなるリスクを恐れなければ――ほとんどの場合はそうなると覚悟しなければ――名演奏に巡り合うことは一生できないのです・・・。

コンサートにおける睡魔とはかくも深刻な問題をはらんでいるのです・・・。