「幕末~明治維新にかけて、日本は改革が失敗していたら欧米の植民地になっていたかもしれない」。

「19世紀後半のアジアの地図を見てほしい。欧米の植民地になっていない国は日本くらいしかない。だから日本は独立を保ったすごい国なんだ」。

これだけ聞くとああそうかな、と思ってしまいがちですし、実際に明治維新という社会の大変動を経て日清戦争、日露戦争を乗りこえ大国としての地位に躍り出たその後の歴史を知っているだけに、なおさらそうかな、と思いがちです。

ところが最近の研究ではそうじゃないらしいということを知りました。

なんとなくアマゾンでポチった「新選組 滅びの美学」というムックを読んでいると、幕末史の研究が進み、新しい解釈が出されていることを知りました。


bakufu

西郷隆盛は、列強が日本を侵略するつもりがないことを見抜いていた

この本の冒頭では神田外語大学准教授、町田明広さんが列強の思惑と日本の姿勢、そして新選組とは何だったのかを解説しています。

それによると、当時の欧米列強は帝国主義的な政策を推進し、中国やインドを侵食していたものの、「日本は列強の植民地化のターゲットではありませんでした。コストの面から日本の征服は割に合わない話だったからです」。

要するに中国とインドで手一杯、日本は職業軍人が支配する国で、こんなところを制服して維持しようとしたら膨大なコストがかかるから、この国とは貿易さえしていればそれでいいやという方針だったようです。

日本側もだんだんとその政策を見抜いていき、西郷隆盛は「外国人を使って長州を攻めたらどうか」という発言をしています。
町田明広さんは、「これは凄いコメントです。他国に軍事介入させることは、付け入る隙を与えることにほかならず、リスクはきわめて大きい。つまり、西郷は列強が日本を侵略する意図をまったく持っていないことを見抜いているから、こんな大胆なことが言えたわけです」。

あくまでも貿易にこだわる欧米の国々は、日本を攻撃することはあっても植民地化するためのものではなく、通商政策をめぐる対立に圧力をかけるためのものでした。

「あれ、でも不平等な立場での条約を飲まされたから、日本がどんどん追い詰められてしまうんじゃないか!? だから幕府を倒そうという話になったんじゃないの?」
町田明広さんのお話を読んでいるとそういう疑問が湧いてきます。

町田明広さんはこう解説します。
「日本植民地化説」は、なぜ意図的に流布されたのでしょう。大きなカギは、当時も今も不平等と言われ続けている通商条約にあります。そもそも薩長が立ち上がったのは、これを改正し、日本を植民地化から防ぐため、というロジックがありますね。

ところが、通商条約は当初必ずしも不平等ではありませんでした。(中略)あのペリーが日本側に論破されたという逸話もありますが、幕府の外交能力は大変立派なものだったのです。

実際に条約が不平等になるのは、慶應二年(1866)の英仏米蘭と締結した改税約書からで、(中略)これは長州藩の無謀な攘夷行動である下関戦争の賠償金の三分の二を減免するための措置であり、実は不平等にした犯人は長州藩だったのです。

なんてこったい!! 自分のオウンゴールを隠蔽するために「日本の植民地化を防ぐため」とかいうロジックをでっち上げてたんかい!!

つまり、

薩長藩閥史観とはズバリ自分たちの正当性を築くための”勝者の論理”です。
まさに「勝てば官軍」であり、何でもかんでも幕府のせいにしてそれを倒した自分たちは正しいんだ! という物語をばらまいて民衆に信じ込ませたようなのです。

このように、私達が知っている歴史や学校で習った歴史というのは研究が進むと「実はそうじゃなかった」「知っていたと思っていたことは俗説でした」ということがたまにあります。

で、自分が年を重ねて古い知識をもとに得々と若い人に「明治維新とは」などと語っているようになることもありえますから、やはり知識のアップデートというのは必要なようです。

「新選組 滅びの美学」は、もともと近藤勇や土方歳三についてもっと知りたくなって買ってきた本ですが、棚ぼた式に欧米列強は日本とどう向き合ってきたかということについて知ることができました。
だから本は読むべきなんですね。