日本フィルハーモニー交響楽団と指揮者小林研一郎さんのコンビはとても有名で、ベートーヴェンやブラームス、ドヴォルザークやチャイコフスキーの交響曲を始めとして様々な名演奏を私たちに届けてくれました。
その小林研一郎さんは1940年生まれ。2020年現在で80歳。
サラリーマンならとっくに引退しているはずですが音楽家というものには定年がありません。
長年にわたり大阪フィルハーモニー交響楽団を率いた朝比奈隆さんに至っては1908年生まれで、2001年まで現役を貫き通しました・・・。
2020年12月27日に私はこの日本フィルハーモニー交響楽団と小林研一郎さんのコンビによるベートーヴェンの『第九』を聴きに出かけました。
私が20年ほどまえに上京してからというもの(一時別の地方に暮らしていたときを除けば)、足繁くこのオーケストラ、指揮者で何度音楽を聴いたでしょう?
いつの間にかそれが当たり前だと思うようになっていました。
・・・愚かでしたね。
当たり前の話ですが人には寿命というものがあり、近年では中村紘子さんを始めとして戦後の日本の楽壇を牽引した様々な音楽家が鬼籍に入るようになりました。
20年前のサイトウ・キネン・オーケストラの写真を見ていると、「あっ、この人はもう」とハッと気づくことがあります。
振り返ってみると最近はそういうことが自分の身の回りでも起こり始め、そうなってくると「このコンビの音楽はいつまで聴けるのだろう?」という焦りを感じるようになってきたのです。
二期会合唱団のハーモニーが素晴らしい『第九』
演奏会に足を運んでみると、そういう私の余計な心配事を吹き飛ばすような肉厚のベートーヴェン。
第1楽章再現部の崩壊感(とでも言えばいいのか?)や第3楽章の幸福感に聴く、30代、40代の肉体的には遥かに恵まれているはずの指揮者よりもはるかに人間らしさい息遣いを感じさせる音色などは、CDには収まりきらない実演ならではのもの。
第4楽章の終結部ではオーケストラの足並みが乱れないように安全運転して終わりがちですが、小林研一郎さんはむしろ加速します。私の自宅にあるミュンシュのCDではボストン交響楽団が熱演を繰り広げているのに、この終わりの部分だけ平常運転で突っ切ってしまうのでそこだけ物足りなさを感じるのですが、まさか80歳を迎えた指揮者がここまでスピードを上げてカーブを曲がりきれずに転落・・・、いえちゃんとオーケストラは着いてきました、着いてきてきっちりと音を揃えて最後の和音まで存分に鳴らしきってくれました。
この日の『第九』はオーケストラの素晴らしさもさることながら二期会合唱団のハーモニー感の素晴らしいこと! 普通なら合唱団もぎっしりと人が並んでいるのですが今年は50人程度でソリストともどもマスクを着用しているという制約が。
ところがこの制約を逆手に取ったのか、それともいつもそうなのか・・・、そこまではわかりませんが『第九』にありがちな力で押し切るパターンを排除して常にきれいなハーモニーが響きわたっていました。ここまで合唱が美しく上品に響いているのを聴くのは初めてでした。
最近は力士の大型化が進み、相撲の決まり手もワンパターンになったという話を聞きますが、もしかして自分が聴いていた『第九』もオーケストラ、合唱団が大型化してしまった時代特有のものだったのでは? ベートーヴェンの時代はオーケストラも合唱団も現代ほど大きかったはずはありませんから、作曲者が本来想定していた響きから乖離してしまっているのでは? 今日自分が聴いた響きこそが、もしかしたらベートーヴェンが想定していたものだったのでは?
それはあくまでも自分の想像にすぎません。
しかしそういうことを考えてしまうほど、この日の『第九』は80歳を迎えてなお勇壮な小林研一郎さんの指揮姿ともども大いに刺激になるものでした。
小林研一郎さんと日本フィルハーモニー交響楽団による『第九』は2005年の録音もあるようですが、あと1回くらいはCDを残してくれるかもしれません。そうなると嬉しいのですが・・・。
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