世の中にはいろんな人がいまして。

お金を稼ぐのが上手い人。

貯めるのが得意な人。

逆に使うのが得意でも増やすほうは苦手な人。

で、お金がなくなってくると親戚が「お金を貸して」と頼んでくることも。

お金がない理由は色々ですよね。事業の行き詰まりからギャンブルまで。

なまじ親戚なだけに断るわけにも行かず、とはいっても自分ちの家計も楽ではなく。
どうしたらいいか? ・・・と悩んだ時に手を伸ばしてみたい(?)本があります。

あの有名な・・・。




夏目漱石『道草』です。


soseki


親戚にお金を貸してと迫られたら読みたい? 夏目漱石の『道草』

私の手元にある新潮文庫の裏表紙にはあらすじがこう要約されています。
海外留学から戻り大学の教師になった健三は、小説の執筆に取りかかっていた。そこに、十五、六年前に絶縁したはずの養父島田が現れ、しきりに金をせびる。姉や兄、義父までも金銭問題をふっかけてくる上、夫婦仲はうまくいかず・・・。
この作品には夏目漱石の人生経験が色濃く反映されています。

本名は夏目金之助。母親が高齢出産だったこと、漱石誕生の翌年に江戸が崩壊し夏目家が没落しつつあったことなどから、漱石は幼少期に数奇な運命をたどる。生後4ヶ月で四谷の古具屋(八百屋という説も)に里子に出され、更に1歳の時に父親の友人であった塩原家に養子に出される。その後も、9歳の時に塩原夫妻が離婚したため正家へ戻るが、実父と養父の対立により夏目家への復籍は21歳まで遅れる。
新宿区のHPにはこのように書かれています。
要するに子供のころの複雑な生い立ちが影響して、大人になってからのパーソナリティに暗い影を落としたわけですね。

『道草』で出てくる人間関係はこの経験が反映されており、断ろうにも断りきれない人間関係のしがらみが延々と描写されているのでした。・・・きついな。

この小説は結局どうなるのか? というと養父島田からお金をせびられ、健三がなんとかしてそのお金を工面するかわりに今後一切の関係を断つという約束を交わします。

短くいうとただそれだけなのですが、たったそれだけのことをするために300ページくらいああでもないこうでもないと悶々とするのでした・・・。

これで片付いて安心ね。そういう妻に健三はポツリ。

「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」

妻はその真意を理解できず、幼い子供に向けて「おお好い子だ好い子だ」、これで『道草』は終わります。

この小説は表面的にはお金がどうした、人間関係がどうしたという実にしみったれたもの。
そのしみったれっぷりを延々と描いて「これが中年男の人生でございます」と割り切れなさを表現しているわけですから、これもある意味すごいですね。(読んでみて感動するかどうかは別として。)

NHKの番組「100分de名著」では、東京大学教授・阿部公彦氏がこの作品を称して「胃弱小説」と読んでいました。

胃の病に悩まされつづけた夏目漱石にとって、治らない不快感・痛みがジクジクと続くのは人間関係のしがらみが解消されないことに似たものを感じていたようで、終わらない問題の堂々巡りの違和感が『道草』として結実したようなのです。

もし親戚からお金をせびられたら、『道草』をひもといてみるのがいいかもしれません。
なんの助けにもならない代わりに、大正時代もやっぱり人間関係で悩んでたんだという謎の親近感を感じられるはずです。