世の中には音楽の調性に対して色を感じる人がいます。
リムスキー・コルサコフは
ハ長調 白
ヘ長調 緑
ト長調 豊かな金色
ニ長調 黄色
イ長調 バラ色
ホ長調 きらびやかなエメラルド色
変ホ長調 暗い灰青色
という感じ方をしていたようです。
どうやら絶対音感を持っている人はこういう感じ方をするようなのですが・・・。
私はそういうものは持ち合わせていないので、調性に対してはっきりとしたカラーイメージを持っていません。
しかし、なぜリムスキー・コルサコフは長調に対して色を感じていたのでしょう?
短調はどうだったのかわかりませんでした。
私の感覚では
イ短調 黒が混じった黄色(また黒か!)
ロ短調 濃い灰色(あれ、ト短調とあんまり変わらないぞ)
ハ短調 黒が混じった赤
ニ短調 黒が混じった青
ホ短調 セピア色
ヘ短調 あまりヘ短調の曲を聴かないのでイメージなし(ベートーヴェンの『熱情』あたりがヘ短調ですが・・・)
ト短調 冬空みたいなちょっと薄めの灰色
です。なんだかどの調性も似たりよったりのイメージで私の耳の悪さ、センスのなさが露呈していますね・・・。
いちおう、音を視覚で理解することを「共感覚」と言われており、特に音に色を感じるのは「色聴」という専門用語が名付けられています。
ということは学問として成り立っているということですね。
とはいえ誰もがある調性に同じイメージを持っているかというとそうではなく、やはり作曲家であったスクリャービンは次のような意見でした。
ハ長調 赤
ヘ長調 青
ト長調 オレンジ
ニ長調 黄色
イ長調 緑
リムスキー・コルサコフと重なっているようで、いまいち合致しません。
リムスキー・コルサコフは、ハ長調を白。スクリャービンは赤。
イ長調ならリムスキー・コルサコフはバラ色でスクリャービンは緑。
どちらも作曲家としての実績は十分ですが、ここまで合わないとなると、「カレーに醤油をかけるか、ソースをかけるか」「うどん屋のおすすめトッピングはどれ」のような「好きにしてくれ」の次元ではないかとすら思えてしまいます。
考えてみれば、そもそも調性に色をイメージしようとしまいと、曲に感動を発見できればそれで良いわけですから、ハ短調の『運命』が赤黒いイメージだろうと灰色だろうと、その人の感じ方がその人にとって正義であり、もうそれ以上でもそれ以下でもないのでは・・・。
「ホ短調にウグイス色を感じてる自分って、馬鹿なんじゃ・・・」と謎にコンプレックスを感じる必要は、まったくなく自分なりの感性を大事にして、自分の琴線に触れる音楽になるべくたくさん巡り合うのが時間の使い方としては有意義だと思います。
注:本記事作成にあたり、以下の本を参考にしました。
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