遠足で一人ぼっち! 遠足のお弁当は一人で食べた! きっと自分の子供からそういう話を聞くと不安になることでしょう。

嫌われ者なんじゃないか・・・。

いじめられてるんじゃないか・・・。

自閉症なんじゃないか・・・。

そういう気持ちになり、とても不安になるのは当然のことです。

このブログタイトルは「友だちいない研究所」と言いまして、学生時代から友だちらしい友だちがおらず社会人X年目の今もまあったく友だちがいません。
休みの日も人と会うことがありません(ピアニストの内田光子さんは「理想の休日は、誰とも会わないこと」と言っていましたが、完全に同意)。

そう、じつは世の中には「友だちがいなくてもOKな人」「むしろ友だちがいると困る人」がいるのです。

具体的に私の場合ですと、もう2年以上職場で同僚と一緒に昼休みに食事していません。したくもありません。正直、昼休みに同僚としゃべるくらいならタブレット端末でNHKのドキュメンタリー番組を見ているほうがよほど有益だと心の底から思い、かつそれを毎日忠実に実行しています。

私の人嫌い、人への馴染めなさというのはまさに子供のころからでした。
だから「みんなで一緒に食事をしよう」という言葉の裏には「みんなと一緒のほうがいいだろう」という安直な前提の設定、そして「そのように感じない人も、世の中にはいる」ことへの想像力の欠如を感じ取り、深い嫌悪感を覚えるのでした・・・。

こう書くと、「コイツ、陰キャでキモい」と思われるかもしれませんが、たとえばお笑い芸人がじつは陰キャだったというのはよくあることです。


世の中には、友だちがいないほうが嬉しい人もいる

話を本題に戻しますと、「遠足で一人ぼっち」「一人でお弁当を食べた」ほうが、当人にとっては嬉しいことかもしれないわけです。

私は最近、メンタリストのDaiGoさんが友だちがいないことについて書かれているブログ記事を読み大変衝撃を受けました。

この記事によるとどうやら世の中には友だちがいない方が幸せを感じる人もいるようなのです 。
DaiGoさんはこう書いています。
友達が多いと不幸になる人がいます。
それは頭がいい人です。
頭がいい人は孤独な方が幸せになれるということです。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスがおよそ15000人の参加者を対象に長期にわたって研究を行っています。
結果、知能が高い人に限っては友達が少なくて孤独な方が幸せに生きることができるということが分かっています。

普通の人とは違った追求型の目標を持つ人は知性が高い人が多いものです。
このような人たちはより大きな人生の目的を達成することを目標に持っているので、ただ友達と遊んだりコミュニケーションを取っているというだけではそこから幸せを感じられなくなるわけです。
それどころか、人間関係も面倒に感じてしまいます。友達が多すぎると人間関係を維持することに自分が人生の目的を達成するための大切な時間やリソースを阻害される可能性があります。ですから、自分の目標を追求しても人間関係が壊れないような良い友達、もしくは本当に厳選された頻繁に会わなくてもいいような友達以外は基本的には邪魔になってしまうということです。
(以上、https://daigoblog.jp/intelligence-friends/より)

DaiGoさんはイギリスの大学によって実施された大規模な調査を根拠として、このようにブログに書いています。この手の性格は「ソリタリー」と呼ばれます(大雑把に言うとベートーヴェンとかスナフキンとか小泉純一郎みたいな行動パターンになりがち)。

「遠足で一人ぼっちだった」「一人でお弁当を食べた」という場合、むしろこういうパーソナリティである可能性を考えたほうが良いでしょう。
一人ぼっち=友だちがいないということネガティブに解釈してしまうと、「自分が向き合いたい何かがある」――そういう強い個性の表れだという可能性を完全に見落としてしまい、秘められた才能を開花させないまま「その他大勢」に埋没させるコースを辿らせてしまうこともありえます。

そっちのコースへ行ってしまうと、パーソナリティに主体性も粘り強さもない。行動する理由は「みんながやっているから」、要するに人の顔色を伺う典型的日本人になってしまいます。それでいいのでしょうか。別の可能性を考慮すべきではないのでしょうか。

「遠足で一人ぼっちだった」「一人でお弁当を食べた」という話をどうとらえるか・・・。案外それが子供の成長の分かれ道なのかもしれません・・・。