『戦う! 書店ガール』も第5話へ。

そもそもこの作品は恋や仕事に悩む女性の姿を描いたもの。
若手として伸びしろが期待される亜紀、副店長としてチームをまとめる理子。

第5話は理子の姿にスポットライトが当てられ、亜紀=渡辺麻友さんは控えめな立場となっています(個人的にはとても残念)。
店長に昇格したのとほぼ同時に父が脳梗塞で倒れ、理子は遅刻の連絡を会社に入れようとするものの男性部下の嫉妬により無断欠勤扱いとなってしまいます。

さらには雑誌のインタビュー記事は理子の知らないところで発言内容を差し替えられ、部下からは「私たちのことをそんなふうに思っていたのか」と厳しい目線を向けられてしまいます。

余談ながら、『戦う! 書店ガール』はフジテレビ系列で放送されていました。過去に私の職場に同じグループの新聞社から取材の電話が入ったことがありましたが、「〇〇さんも・・・の状況で厳しいですよね!?」と質問に対してなんとしてもイエスと言わせようとする記者の語調に私の上司が辟易させられたことがあります。どうやら最初から記事の結論が決まっているらしく、その結論に合致した事実「だけ」をなんとかして拾い集めようとして電話をかけてきたようなのです。これは悪質です。

shotengirl

こういう景色は過去のものとなる日がくるのか

理子が女性だからという理由で嫉妬にかられ、陥れるという景色、能力的には十分でありながらもただ女性だからという理由で管理職への登用に難色が示されるというのは昭和ならともかく、平成後期という時代にあってこういうことはありうるのでしょうか。

私が初めて就職した会社(製造業)では女性社員には名刺を作らせないという謎ルールがあり、その次の会社(運輸)では「女性社員はとりあえずいるだけでいい」(たしか、従業員数数千人なのに女性管理職は見たことがない・・・)という雰囲気でした。
いま(研究機関のようなところ)は従業員に占める女性比率は50%ほどで、管理職の半分も女性なので女性が役職に付くことに違和感を感じませんが、『戦う! 書店ガール』第5話では古い日本の体質が戯画的に描かれているようでもありました。

亜紀=渡辺麻友さんは男の嫉妬、そしてそれをかばおうとする店長の姿勢に違和感を表明します。間違ったことをありのままに指摘する亜紀の姿は、「真面目な人が損をするのがAKB」と語った渡辺麻友さん本来のパーソナリティとどこか重なるものが。

渡辺麻友さんはアイドルとして、また女優という立場から政治的なメッセージを語ることはありませんでしたが、日本のひとつの旧弊に対してどのように感じていたのか・・・、芸能人という特殊な働き方をしていたなかでジェンダーをめぐる問題に何か気づくことがあったのか・・・、この点はもはやうかがい知ることは叶いませんが、平成後期~令和を生きる一人の日本人として、関心を寄せなかったということはないはずです。

このドラマが発表されて5年が経過し、私たちの働き方も少しずつ変化する一方で、「変わるべきだが、そうなっていない」という事柄もまだまだあります。そういう課題を解決してゆくために私も一社会人として微力を尽くしたいと思います。