高校の現代文の教科書に昭和30年代から採用されている夏目漱石の代表作『こころ』。
私も最初に読んだのが教科書でした。
教科書に掲載されているのは第三部「先生の遺書」で、いったいどういう理由で「私」が先生と知り合い、そして遺書を受け取ることになったのかはダイジェスト風にまとめられていました。
授業では、「先生」の恋愛観はどういうもので、何を理想としていたのか。また「お嬢さん」に憧れていた一方で友人Kが彼女と親密になっていくにつれてだんだん嫉妬がつのり、ついにはKには何も言わないで「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言ってしまいます。
Kが自殺するのはそのすこし後のことでした・・・。
K、じつは恋愛体質説
Kが恋愛体質だと指摘したのは伊集院光さんと姜尚中さん。
ぼっち@3_bocchi姜尚中さんの「Kというのはじつは恋愛体質なんです」というのは予想の斜め上の指摘でした。
2020/10/16 21:26:54
100分de名著 夏目漱石“こころ” 第3回 自分の城が崩れる時 -NHKオンデマンド https://t.co/C9fvGV9KCd
Kはもともと先生と同じ郷里の真宗寺に生まれ、医者の養子になります。自分もそのまま医者になることをまわりから期待されていたのに、それを裏切る形で哲学を修めようとした結果勘当されてしまいます。このことがきっかけで体調をくずしますが、「先生」が紹介した下宿のお嬢さんのおかげで健康を回復させます。
このKという人物、なかなかストイックです。
私はまた彼の室に聖書を見ました。私はそれまでにお経の名を度々彼の口から聞いた覚えがありますが、基督教については、問われた事も答えられた例もなかったのですから、ちょっと驚きました。私はその理由を訊ねずにはいられませんでした。Kは理由はないといいました。これほど人の有難がる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。その上彼は機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいました。彼はモハメッドと剣という言葉に大いなる興味をもっているようでした。
お寺で育ったのに、仏教以外の聖典にも関心を寄せるなんて、向学心にあふれていますね。
「先生」と二人で千葉を旅したときは・・・。
二人は宿へ着いて飯を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。
日本人サラリーマンの平均勉強時間は1日6分。「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」。耳が痛い!!
こういう、つねに上をめざそうという姿勢の裏返しか、どうしても孤独の影がKにはつきまといました。
ところが不思議なことに、下宿先のお嬢さんとはすぐにいい感じになってしまいます。
姜尚中さんはこのことに触れて、Kは実は恋愛体質だったのだと自説を展開します。
曰く、「心のダムを一度開くとずっと水を流しっぱなし」になってしまうようなもので、要するにゼロか1かで中間がないようなのです。
言い換えると、お嬢さんとの出会いが彼のゼロを1に変えてしまったということなのです。
「先生」はありえない言葉を耳にします。
彼は元来無口な男でした。平生から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易く開かないところに、彼の言葉の重みも籠っていたのでしょう。一旦声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。彼の口元をちょっと眺めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付いたのですが、それがはたして何の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
Kは学問の道に進もうとするのに、女性に心を動かされたことで煩悶するわけです。
伊集院光さんと姜尚中さんはこのブログ記事冒頭で紹介した番組で次のように言葉を交わしています。
「一度門を開くと、自分で水量を調整できないくらい人を好きになってしまう人だ」
「恋愛になったら行くところまで行く。混じりけのないひとだった。もしかしたらKは同じ屋根の下に住むお嬢さんの色香のことで気が狂いそうだったかもしれない」
「Kはそんな(ことを考える)人じゃないと思われていた。Kは孤高の人だった。だが逆に弱い人だった。混じりけのないものを求めるからこそ場合によっては弱さが露呈する場合もある」
「先生」はその弱さを見抜いたのでしょうか、いつかの言葉をそっくりそのまま、仕返しに使います。
Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。
やがて「先生」とお嬢さんが結婚するとわかったとき、Kは自殺という道を選んでしまうのでした・・・。
Kの純粋さと弱さ
初めて『こころ』を読んだ時は、Kは意志の強い人物だ、これこそ「端倪すべからざる」人ではないかと思っていました。
ところがある程度時間をおいて読み返してみると、「あれ、Kってこんな人だったっけ?」とイメージが少しずつ変わってきました。
そこでさらにNHKの『100分de名著』を見ると、たしかにKの強さと弱さはコインの裏表の関係だということがよく分かり、また善意(とある種の優越感)でKを下宿に招いたのにそのことがかえって自分を苦しめてしまうという焦りも非常に共感してしまうのでした。
いやあ、夏目漱石ってほんとうに奥が深い・・・。
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