「夢を書き記そうとする者は、目覚めていなければならない」。
今は亡きあるピアニストの言葉です。

渡辺麻友さんのたどった足跡を改めて振り返ることは、自分がかつて見たのは夢ではなかったと一つ一つ確認してゆく行為であり、私にとっては彼女が様々な折に見せた繊細で多彩な表情を書き留めることでその姿を自分の記憶に定着させることでもあります。

私が連続して感想を書き残している『戦う! 書店ガール』の第3話ではダブルヒロインの亜紀と理子の関係に歩み寄りが見られ、他方で万引き犯が事件を起こしたりとその後につながる描写がなされています。

そのなかでなぜ亜紀がエンデの『はてしない物語』を愛読しているのか理由が明かされ、好きなものを好きと断言するハートの強さを渡辺麻友さんが凛々しさと可憐さを兼ね備えた演技で表現していました。
この場面だけでも繰り返し再生してキラキラと輝く表情を見ていて、それでいて飽きないのはそれだけ演技に説得力があるから。

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『はてしない物語』への愛情を明かす亜紀

渡辺麻友さんご自身が『はてしない物語』を読んだことがあるかどうかはわかりませんが、たとえ未読であったにせよ熱を込めてこの長い物語への愛着を語るさまは十分女優としての力量をこの時点で備えていたと言ってよいでしょう。
(この記事では詳細は省略しますが、『はてしない物語』は本当に優れた作品で、この作品を読んで励まされた亜紀のような少年少女が世界中に膨大にいるのです。ついでながらそういう人は、精神生活の半分は物語=つくりごと・「役に立たないもの」の中で生きているので政治家から「不要不急の何々をしないように」というメッセージが出されると演劇や音楽の価値が否定されたと受け止めてカチンとくるのです・・・。)

土下座を迫る女子高生たち

第3話では亜紀に注意されたことを逆恨みした女子高生たちが一計を案じて彼女に土下座を迫る場面もあります。土下座土下座と連呼する彼女たちは『半沢直樹』のファンでしょうか。詰め寄られた亜紀の表情が曇ります。(下品対上品の争いです。)

陥れられたことに気づいた亜紀の目に涙が浮かびますが、ここに理子が割って入りうまく場を収めます。こうして二人の間にあった氷が溶け、信頼関係が芽生え始めます。

こちらの場面の表情もやはり品のあるもので、こういう様々な心理・表情の移ろいを目にすることができているということは、たとえこのドラマが商業的な意味では成功とは呼べなかったとしても渡辺麻友さんの当時の姿を残しておくという点では貴重なものです。
なにしろ当時の本業はアイドルであり、お客さんの前でこういう表情を見せるはずもありませんから・・・。

主演女優としての使命感

この記事冒頭に「夢を書き記そうとする者は、目覚めていなければならない」という言葉を引用しましたが、撮影終了後に悔いを残すことが多かったと語る渡辺麻友さんご自身はドラマというフィクション=夢を届けるための主演者であると同時に、多忙の中にあっても自分の姿を客観視していた可能性があります。

彼女が背負っていたのは自分の女優としてのキャリアだけではありません。
彼女の失敗は前田敦子さん、大島優子さんから継承したAKB48というグループの失敗とも受け止められるおそれがあり、万が一そういうことになってしまった時後輩たちにどのような顔を向けられるでしょうか。

だからでしょうか、多忙を極めたなかでも表情をクルクルと変えながらしかも一定の品があるのは高い使命感の現われであり、その努力が必ずしも視聴率に跳ね返らなかったゆえの「敗戦の弁」は、それが彼女ひとりに帰するものではないにしてもインタビューの行間からは確かに言葉にできない「何か」を感じさせるものがあります。

こうした妥協を許さない姿勢がアイドル界きっての「ストイックすぎるほどの正統派」という人物評につながったと同時に、もしかするとその性格ゆえ芸能界という業界で「女優」として歩みつづけることが不可能になってしまったのかもしれません。

『いつかこの雨がやむ日まで」の最終話のレビュー記事に私はこう書いたことがあります。
「いつかこの雨がやむ日まで」を見終えた今、私には渡辺麻友の女優としての成長をこれからもずっと見守ってゆける、そんな長年にわたるであろう楽しみが増えたような気がします。この記事をお読みくださった皆様とともに、私もこの女優の軌跡を追う歩みを続けて行きたいと考えています。
これは叶わぬ夢と消えてしまいましたが、残されたコンテンツを振り返り、彼女の残したものの記録をどなたかがいつか見つけてくださることを願いつつ、「今」を生きる者の責務は「記憶の継承」であるとの考えのもと引き続き『戦う! 書店ガール』の感想を書きとめてゆきたいと思います。