これは、セネカという人物の言葉です。
ルキウス・アンナエウス・セネカ(前4~後65)はローマ帝政の初期に生きたストア派の哲学者でかつての教え子ネロ帝から謀反に加担した疑いをかけられ自害を命じられました。

彼は生前にいくつか著作を残しており、そのなかのひとつ「幸福な人生について」という作品から、上記の言葉を引用しました。

どうでしょう? いわゆる陽キャは「多数の者」ですね。

陰キャはたいていひとりぼっち。

学校のような集団のなかではどうしても陽キャのほうが市民権を獲得してしまい、陰キャは肩身の狭い思いをすることが多いですね。

ところがセネカ的な考えですと、大勢でいることに価値を認めていないようですね。

ばかりか、「何よりも大切なことは、羊の群のように、先を行く群のあとに付いて行くような真似はしないことである」と説いているわけですから、そうならないように注意しろとまで言ってくれています。

おや、これって欅坂46のサイレントマジョリティーの世界観そのものじゃありませんか!



なんと2000年も前の人の言葉と、現代日本の音楽の歌詞が結びつくなんて、それほど人間模様というのは不変かつ普遍なんですね・・・。

大勢と一緒にいるのは、たしかに集団心理が働いたり、みんなの中にいる一体感があったりして安心感があるでしょう。
しかし「連帯責任は無責任」という言葉があるように、集団というものは個の喪失を招くときもあります。

2020年には新型コロナウイルス感染症対策ということで猫も杓子もマスクをするようになりました。
ところが日本人の場合、「感染症対策」が理由ではなかったのです・・・。


同志社大学・中谷内教授の研究では、

感染者の増加が続いた3月下旬、年齢や居住地などの構成が日本の縮図となるよう千人を選び、マスク着用の理由や頻度を尋ねた。  

「感染すると症状が深刻になる」などの理由と着用頻度との結び付きの強さを解析すると、断トツは「人が着けているから」。「他人の感染防止」はほぼ関係なかった。

(リンク先の共同通信記事より)

これは「周りと同じようにマスクをすればよい」というただの思考停止であり、科学や医学とは無関係。ましてや冒頭のセネカの考え方とはとうてい相容れないものです。

ひとりぼっち・陰キャの皆さんは、ひとりぼっちであるという点において「常に自分で判断し、行動できる」というメリットがありますから、ぜひともひとりぼっちを貫いて孤高かつロックな道を歩んでほしいと思います・・・。


追記:私が参照したセネカの本はこちらです。