私のヴァイオリンの先生に言わせると、ツィゴイネルワイゼンを弾くような、いわゆる「天才少年」でもモーツァルトに手こずることがあるとか。

どうして? というと、モーツァルトの曲のなかにはヨーロッパの伝統的な音楽の基本的な語法がぎっしりと詰まっており、そうしたエッセンスを我がものとして表現するのが難しいそうです。

私がいま取り組んでいるモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番』も、何ヶ月も試行錯誤を重ねているのですがさあっぱりヨーロッパらしい響きにならず、なぜか茹ですぎたうどんというか、水の量を間違えてベチャベチャになってしまったご飯というか・・・、とにかく様にならないのです・・・。


モーツァルトのヴァイオリン曲。弓の弾みが難しい


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これは『ヴァイオリン協奏曲第3番』の第3楽章の一部。

なんてことはない、スタッカートでレミファソラシと上がってゆくだけの楽譜です。

ところがこれが曲者なのです。弓の弾みはそれぞれ2cm位で十分。
ですが余計な力が入ると2cmどころか5cmも10cmも弓がバウンドしてしまい、ドスンと弦に着地。その反動でまた余分にバウンドが・・・。いらない力を加えない、ただそれだけのことなのに何度やってもうまく行かないのです。辛い!!


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こちらも上の譜例のすこしあとの場面です。

このクレッシェンドは、たんに音量を大きくすればよいというものではありません。

どうやらクレッシェンドは、音量だけでなく遠近感をも含むようなのです。
現代人はステレオのつまみをひねるようなイメージでクレッシェンドを理解してしまいますが、ここのクレッシェンドはそうではなくて、何かが近づいてくるような雰囲気を醸し出さなくてはいけないようです。

「作曲家が楽譜に書き残せている思いはほんのわずか」という言葉はよく耳にしますが、そりゃ普通に弾いていたら「音量だけでなく遠近感も表現しなくては」などという発想にはなりませんよね・・・。こういうのは先生に教わって初めて「ああそうなんだ」となるはずです。


まだあります。

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簡単すぎてどうでも良くなるような譜面ですが、ひとフレーズを弾いたあとで安易に弓を持ち上げてはいけないようです(弓の戻りで時間をロスするため)。
弓を弦につけたまま、音が出ないくらいに力を抜いて、ササッと戻す(私はこれをステルス移動と命名)。これも言葉にすると簡単なのですがやってみるとアホな位苦しみます。

さらにはこんな落とし穴も。

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初心者でも弾ける譜面ですね。

と思いきや、2拍目は若干短く切らなくてはなりません。
そうしないと鈍重な音づくりになってしまい、ラ、ド、シ、レと上がっていくフレーズなのに下に重くなり、楽譜としては正しい演奏でも聴いていてダサくなってしまうのです。


なぜヴァイオリンの独学がムリかというと、こういう「知っている人は知っているが、知らない人は知らない」があまりに多いのと、間違っていることを間違っていると指摘してくれる人が必須だからです。

モーツァルトの名演奏といえばグリュミオーですが、何気なく聴いていた彼の演奏がいかに神技だったか、自分が弾く立場になってようやくわかりました・・・。