「紛らしている」は渡辺麻友さんには珍しいロックチューン。

「出逢いの続き」や「守ってあげたくなる」のほうが彼女の本来の人となりによく似合っていますが、こうしたロックチューンも作品として残している点、彼女がもし本格的にミュージカルなど、「歌」を表現の柱とする舞台人になっていたらどうなっていたかを考える材料として非常に興味深いものがあります。

ロックチューン「紛らしている」に垣間見える渡辺麻友さんらしさ

最後のTV出演となった2019年秋の「UTAGE!」では「紅」を歌っていました。
そのときの私の感想は
に書きましたので再掲します。

「渡良瀬橋」で聴かれた誠実さのある歌声とは打って変わり、ここでは荒々しい生の感情がぶつかり、「紅」の世界観を彼女なりに咀嚼していたと思います。
興味深いことに、やはり女性ゆえの個性なのか、荒々しいと言ってもやはりどことなく柔らかさがにじみ、なぜか歌のなかに1%くらい三村茜の姿が(友人のために子供を預かることを申し出た、優しい彼女が)だぶってしまうのでした。

つまり彼女はToshlさんではなく。あくまでも「渡辺麻友」。
歌う前に「それでは聴いて下さい、『紅』」(ロックのライブでありがちな「聴け!お前ら!!」ではないことに注意。)と丁寧なナレーションをしたり、「かつあげされるんじゃないかと思った」、「そんなことしないですよ」というやり取り、終演後の感想で「裸はNGで」というコメントが出る辺りなど、彼女本来の個性がどことなく表れていたと思います。

そういう意識はなくても、ついにじんでしまうもの、それが人柄であり、それが音になるとその人独自の「トーン」になってくるのではないでしょうか。(登場人物それぞれの個性が特殊能力として具現化される、『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド能力みたいなものでしょうかね?)

「紛らしている」でもやはり同じことが当てはまるでしょう。
CD音源ではマイクがブレス音を捉えているものの、この音は次の音声をはっきりと発音するために息を吸いこんだ瞬間をたまたまマイクが拾ったというよりもむしろ「ロック歌手らしいブレス音を再現してみた」に近いと思います。とすればむしろ彼女の几帳面さの表れであり、「それでは聴いて下さい、『紅』」という丁寧な挨拶とのつながりをも示唆するものです。

「紛らしている」を「演技」という観点から見ると?

渡辺麻友さんは宝塚観劇をもって人生の転機と語り、アイドル時代の後期には演技への深い傾倒を語っていました。柏木由紀さんとの『まゆゆきりん「往復書簡」~一文字、一文字に想いを込めて~』でも舞台にかける情熱とこれからの抱負を語っていました。

女優になってからも時代劇、推理ドラマ、サスペンス、そしてNHKの朝ドラに出演。ミュージカルでも『アメリ』のヒロインに抜擢。控えめながらも品のある楚々とした演技を見るにつけ、彼女の未来に大いに期待していました。

彼女がこれまで演じた役割は、どこか「アイドル・渡辺麻友」によって培われたイメージ像の延長線で獲得したと思われるものもありました。
では「他人の人生」を演じるのが役割である「女優」という職業にあって、たとえば悪女とか老獪な女性政治家のような「素の渡辺麻友」とはかけ離れた人物を演じることになったとき、どうなるのだろうという期待も私の中にありました。

その点で「紛らしている」の歌いまわしは、熱情的でありながらも一つ一つの語句を正確に歌い上げる点、荒んだ感情を表現する語尾の発声などは、彼女「らしくない」役割をとくにミュージカルで演じていたらどういう口調で台詞を喋り、歌っていたのだろうかということを想像するうえでの手がかりとなるでしょう。


改めて「紛らしている」を聴き返し、彼女が自分の役割を真摯に果たそうと惜しみない努力を捧げていたこと、同時に演技の道の厳しさと奥の深さをも感じ取りました。