ニーチェの言葉「足下を掘れ、そこに泉あり」。
ぼっちな人にとってはこれは福音とも言える言葉です。
なぜって、泉つまり素晴らしいものは人と会ったり、どこかへ出かけていったりしなくても自分のすぐそばにあるからです。
いわゆるパリピ、陽キャはいつも人と会って、集団でディズニーに遊びに行って楽しそう。
でもこのページを見てくれている人はきっと学校では陰キャとかぼっちと呼ばれていて友だちも少ないはず。
私もそうです。なにしろこのブログも「友だちいない研究所」っていうくらいですから・・・。
友だちはゼロですし、人と食事するのも年に1,2回くらいです。
「足下を掘れ、そこに泉あり」で陰キャを極めよう
陰キャって、悪いことなんでしょうか。友だちと一緒にいることっていいことなんでしょうか。
私は陰キャ=いいこと、友だちと一緒にいること=避けるべきこと だと思っています。
確かに友だちといつも一緒にいるような人は将来商社にでも就職して大きなビジネスを成功させたり、リーダーと言われる立場になる可能性が高いでしょう。
が、陰キャに分類される性格に生まれた時点で、あなたはそういうルートから確実に外れています。
陽キャを目指そうとしても絶対に「自分ってそういうキャラじゃないよね」といつの間にか元の木阿弥になっているはず。
そうじゃなくて、あなたは「表現者」と呼ばれる素質があることに目を向けて下さい。
みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ
この詩は宮沢賢治「告別」からの一節です。
ここには徹底的に孤独をわがものとして、その経験をつうじて初めて誰かの心を揺さぶる表現ができるということが書かれています。
孤独をわがものとする、とはどういうことでしょう? まさにそれが「足下を掘れ」に思えてなりません。徹底的に自分と向き合い(足下を掘り)、そこで見えたものをオリジナリティある表現に昇華してゆく。
他の人と一緒にいるとそれがうまく機能しないわけです。
これまでの体験や芸術作品から得たインスピレーションを自分のなかで咀嚼する時間というものが、陽キャだと確保しにくくなります。
だからなのか、芸術家と呼ばれる人ってあまり陽キャがいませんよね・・・。
このことに気づけばしめたもの。もう陽キャに引け目を感じることはありませんよね。
「足下を掘れ、そこに泉あり」。陰キャ街道まっしぐらで、10年後に陽キャを見返してやりましょう・・・。

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