私は大学時代に英語英文学科というところに所属していました。

そこで子供の頃から好きだった『指輪物語』(The Lord of the Rings)を卒論テーマに選び、卒業旅行には作者トールキンが実際に暮らし、そして埋葬されているオックスフォードを訪問しました。

主人公フロドの人物造形は読めば読むほど翳りのある複雑な味わいがあります。
作者自身が敬虔なカトリック教徒であったことからも自身の宗教観をフロドの言動をはじめとし、作品の端々に忍ばせており、こうした観点からも作品を研究してみるのも面白いでしょう。

frodo


フロドという名前の意味。フロドとは何者か?

さてフロドという名前の意味について私は卒論でこのように論じています。

『ゴクリとフロドの関係を描写しつつ、トールキンはフロドが知恵を深めてゆく過程をも描写している。それは、エミン・ムイルの山中でゴクリを捕らえた時に、フロドが彼を殺さなかったという点に集約される。ヘンネス・アンヌーンにおいても、フロドは彼を殺そうと思えばできたであろう(語り手は、サムがフロドの立場であったなら確実にそうしていたことを語っている)。

フロドがゴクリに示した慈悲は、旅立ちに先立ってガンダルフと交わされたフロドの会話と鋭い対比をなす。
‘(Frodo said) What a pity that Bilbo did not stab that vile creature, when he had a chance!’ ‘(Gandalf replied) Pity? It was Pity that stayed his hand. Pity, and Mercy: not to strike without need.’(FR, p.78)

フロドがゴクリを前にして彼を殺さなかったのは、同じ指輪所持者として、ゴクリの苦悶を察する能力が身についたためと考えられる。

‘Yet the two were in some way akin and not alien: they could reach one another’s minds.’(TT, p.604)

という文章が2人のやりとりの中に見られるからである。このようなフロドの変化は、彼の名前が予言していたことでもあった。

‘Its Old English form was Fróda. Its obvious connexion is with old word fród meaning etymologically ‘wise by experience’, but it had mythological connexions with legends of the Golden Age in the North.’(Letters, p.224)

とトールキンは手紙の中で明らかにしている。フロダなる人物に関してシッピィが研究したところでは、アングロ・サクソン文学でフロダについて言及がなされているのは『ベオウルフ』でインゲルドを‘the fortunate son of Froda’と紹介しているのみであるが、アイスランドのスノリ・ストゥルソンの遺した文献によると、かつてFrothiという王が存在し、彼の時代はFróða-frið、‘the peace of Frothi’と呼称され、戦が1度も勃発しなかったという。

従ってトールキンはフロドに暴力否定的立場をとらせようとの計画があったと考えられる。しかし‘wise by experience’という言葉が明らかにしているように、フロドがゴクリの刺殺を思いとどまるまでに指輪所持者としての受難を忍ばなくてはならなかった。フロドは自らの命を代価として慈悲を得るようになったのである。』

つまり現代英語ではFrodo(フロド)でも、古英語ではFrodaという名前であり、今風に彼を表現するなら平和主義的立場の人物像だったことが伺われます。
文中にあるLettersというのはトールキンの書簡集のこと(2020年時点で、本邦未訳の模様)。

シッピィというのはTom Shippeyのことで、J.R.R Tolkien: Author of the Centuryという本も参考文献の一つとして卒論作成に使用しました。

この本は私が学生のころは日本語版がありませんでした(2015年に翻訳が発表されました)。

「フロド」に込められた含蓄

トールキン自身が言語学者だったため、ガンダルフやグロールフィンデル、アラゴルン、デネソールといった登場人物には何かしらの含蓄や、名前を声に出して読んでみたときに、その人となりを表現するかのような音の響きが込められています。
もちろんフロドもその一人。

フロドの名字はバギンズですが、Baggins(バッグ、袋)という田舎じみた名前とフロドという言葉の翳りはどうしても溶け合うものではありません。

だからなのか、フロドは『指輪物語』の終わりでガンダルフやガラドリエルらとともに西の国へ旅立つことを選択します。これも彼の人物造形ゆえでしょうか。

もともとはゴクリのことを「死んだっていい」と言い捨てていたフロドも、指輪所持者としての経験を重ねながらゴクリの刺殺を思いとどまり、ゴンドール兵からかばい、その慈悲が結局は中つ国を救ったのでした。
物語の幕切れ近くの「ホビット庄の掃討」でもやはり彼の慈悲がホビット庄を荒廃させてしまったサルマンをも救おうとします。

「だが、わたしはかれを殺させない。あだをもってあだに報いても何にもならない。何も癒しはしない。行け、サルマン、最も速やかな道をとって!」

この言葉で、たとえ堕落したとはいえかつては白の魔法使いにして中つ国最大の賢人であったサルマンをして「あんたは成長したな、小さい人よ」と言わしめるのです。

しかしサルマンは、フロドがこれまで背負っていた重荷が何だったのか見抜いていたようです。
「だがわしがあんたに健康と長寿を祈るとは思い設けるな。あんたにはそのどちらも与えられぬだろう」。

その後まもなく中つ国を後にしたフロドは、聖書の言葉「一粒の麦もし死なずば」を、イエス生誕よりもはるか昔の時代にあって体現した人物(ホビット)であるように思えてなりません。

読めば読むほど味のある書物、それが『指輪物語』です。
一生にあと何度この本を読み返せるでしょう・・・? ああ、自分もドゥネダインのように長生きできたら・・・。