渡辺麻友さんの芸能界引退のニュースは各方面に大きな波紋を呼びました。

私自身も彼女のことをいたく応援していたため、初めてそのニュースを見たときは息が止まるかと思いました・・・。
このブログはライブドアブログのシステムを使って運営されており、カテゴリ的にはなぜか「メンタルヘルス」のジャンルになっています。

他にも経済とかITとかゲームとか音楽とかいろいろジャンルがあったのに、なぜ「メンタルヘルス」に設定したのは謎ですが、私自身の人生の記録として、「渡辺麻友さんの引退ニュースを受けて、私のメンタルはどう変化したか。なにを思ったか」ということを書き残しておきます。

(注:この記事は渡辺麻友さんは芸能界を引退され、一般の方となりましたので彼女についてあれこれ論じるものではなく、あくまでも「私の動揺」にフォーカスしています。以下の文章も渡辺麻友さんに関する情報が書かれているわけではありません。ただの自己語りです。ご了承ください。)

mental


6月1日、とにかく動揺する

私の職場でもやはり多くの同僚がリモートワーク中です。しかし私は職場の近所に住んでいるので「維持要員」としていつものように出勤しています。
というわけでGoogle Meetを使ってオンラインミーティングをしているときに、なんとなく朝日新聞のHPも開くと、「渡辺麻友さん芸能界引退」の文字が。

これには本当に息が詰まりました。ばかりか、その後は上司が何を言っても右から左。
上司の言葉がいまいち記憶に残らないのは今に始まった話ではないのですが、このときは本当に何を話していたのかまったく思い出せません。たぶん私は近い将来リストラ要員になるでしょう・・・。

ミーティングが終わるとすぐさまスマホを持って離席、ネットニュースをチェックして、数年前から体調不良に悩まされていたこと、健康上の理由で芸能界を引退することになったと知りました。

ニュースをざっと読んだ後、ただただ私は言葉を失い、とりあえずこんなツイートをしました。


その後定時になると、近くの同僚に「家で心配事が出てきたので帰ります」と言ってすぐさま帰宅・・・。まあ心配事というのは嘘ではありませんね。

帰宅してとりあえずお風呂に入り、少し仮眠すれば落ち着くだろうと思いつつも、頭の中でいろんな思いがぐるぐると駆け巡り、眠れません。
そこで起き上がり、手を震わせながらブログ記事を作成しました。


このブログでは「渡辺麻友さんについて」というカテゴリを設置していて、こんなドラマに出演した、その感想は・・・、ということを書いています。大好きな彼女のことをあれこれ書いているうちについ力が入ります。でもそのカテゴリに記事を入れることができなくなる・・・。深い喪失感に襲われました。

上記の記事では渡辺麻友さんがいつかまた戻ってくるかもしれないという気持ちをにじませていますが、乏しい可能性にすがりついてでもそんなことを書いてなんとか自分を納得させ、気持ちを落ち着かせたかったわけです・・・。

その日の夜は、すんなり眠れるとも思えず、ワインを飲みました。






ワインを飲みながらこんなツイートを。ずいぶん深刻、かと思えばなぜか一人称がワイ。

お酒の力で簡単に眠ることはできたのですが、そのとき見た夢が「長野県まで(なぜ?)自転車で向かうが、長い上り坂で疲労困憊して旅館にたどり着き、熟睡のあとに目が覚める」というもの。
夢の中で眠って目が覚めるというのは、よほど精神的に参っていたのでしょうか?

6月2日。自分を納得させようとする

その日の朝のスポーツ新聞各紙は渡辺麻友さんのことを一面で報じていました。
私も一部購入し、彼女の真面目な性格が芸能界には向いていなかったのだろうという論考にうなずきました。

じつはこの日も仕事が手につかず、定時になるとさっさと帰宅してしまいました。

そして書いたのがこんな記事。もう渡辺麻友さんについて記事を書くこともなかろうと思いつつも、やはり記録として書き残しておきたいことがあったのでつい・・・。

渡辺麻友さんの引退を惜しむ声のあたたかさ。私たちができることを掘り下げてみました。

昨日のことですが、記事を書き終えてまたワインを飲んで寝てしまいました。
人はこうやってお酒に溺れていくのでしょうか。

6月2日のツイートはこちら。


また一人称がワイなのは謎ですが、ジョジョが出てくるあたり落ち着いてきています。
でも「埼玉」という文字で涙ぐんだりと、色々安定しません。

6月3日。埼玉訪問を思い立つ

私はヴァイオリンを弾いていまして、バッハの『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』という曲を演奏することを目標としています。というわけで毎日朝と夜に練習に励んでいます。

ところが今朝練習をしながら参考に動画を見ていると、『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』という曲は作曲当時(1720年)、バッハの妻が亡くなり、その思い出のために作られた作品だったという説を目にしました。
そういう説があるということは以前も聞いたことがあったのですが、詳しい事情をなぜかこのタイミングで知りました。

バッハは当時ケーテン侯国の宮廷楽長であり、領主レオポルト侯の旅に随行している間に妻マリアが急逝してしまったとか。バッハが帰郷したとき、妻はすでに埋葬されていたようです。
その妻の思い出のために書かれたのが『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』。
ヴァイオリン音楽というのはふつうピアニストが伴奏を務めますが、無伴奏ということは一人で音楽を作らなければなりません。



基本的にメロディ楽器であるヴァイオリンでハーモニーを生み出すためにバッハが取り入れたのが「重音奏法」といい、同時に複数の弦を弓でこすることで和声が生まれます。
要するに妻の思い出を楽譜に込め、「一人で複数の音を出す」=「一人だが孤独ではない」つまり「妻は傍らにいる」ということを暗示させたかったようなのです。

・・・というトリビアを知り、だったら俺も『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』に渡辺麻友さんの思い出を込めて演奏するんだ! と朝から猛烈にテンションが上がりました(かなり危ない)。

ただ問題があります。『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』は私のようなアマチュアに手が届くようなものではないのです・・・。一応「弾ける」レベルに到達するには、スムーズに行ってあと10年くらいはかかるでしょう・・・。

この日(つまり今日)の職場の昼休みには、突如埼玉に行こう! などと思い立ちます。


冷静に読んでみると謎のツイートでしかありませんが、書いているときは「なんていいアイデアなんだ!」とかなり興奮していました。(大宮周辺では氷川神社がどうやら渡辺麻友さんにとって思い出の地らしいのですが、この記事をお読みの方でご存知の方がいらっしゃいましたら、その他なにかおすすめのスポットを情報提供いただけると幸いです。もちろん、彼女の私生活を詮索するとかいう意図は一切ありません。あくまでも自分の過去と向き合うためです。)

おわりに

そのあと、「そうだ自分の心理状態もブログ記事になるんじゃないか」と思い、自分の気持ちを書き綴ってみた次第です。
ただしこうやって自分のことを文章にし、なおかつ公開するというのは一種の自己劇化とでも言うのか、ある種のたくましさや図太さであるともいえます。

人は本当に絶望したとき、おそらく何も言えなくなるはずです。
渡辺麻友さんのニュースを初めて知ったときもやはり私自身がそうでした。
何年ものファンとして積み重ねてきた思いが一瞬で崩れ落ちてしまったような気がしました。

おそらく人が自殺するのは、「お金がない」といったような理由ではなく、例えば事業の失敗がライフワークの失敗とイコールであり、すなわち自分のこれまでの人生が否定されたと感じることも理由の一つとしてあると思います。自分のこれまでの歩みが否定された今、もうこの世界にいる必要はない・・・。そういう気持ちになるのかもしれません。

私はそういう辛い立場の当事者ではないため軽々しく論じることは控えたいのですが、ここ1~2日のうちに色々な感情を経験しましたので、第三者的には「なぜ一人の女優の引退でここまで」「こいつヤバいやつだな」「アホ発見www」と思われるはずですが、一つの「心の嵐」を書き留めておきたいと思います。